ビン・ラディン後のアルカイダはどうなる?
オサマ・ビン・ラディン後のアルカイダについて、産経新聞とmilitary.comの記事を読み比べました。
24日配信の「ビンラーディン殺害 東南アジア波及は… 米系施設標的に回帰も」は、フィリピンのマニラを拠点とするアルカイダが東南アジアのイスラム系テロ組織、ジェマ・イスラミア(JI)や、モロ・イスラム解放戦線(MILF)との関係に注目しました。
2006年以降、これらとアルカイダの関係は疎遠になっていたとされますが、今年1月にパキスタンで拘束された、2002年のバリ島爆弾事件のオマール・パテック容疑者がビン・ラディンが住んでいたアボタバードに潜伏していました。そして、国際危機グループ(ICG)のシドニー・ジョーンズ氏の「標的は一時的にローカルなものから、かつての米国系のホテルやファストフード店へ移るだろう」「(殺害は)インドネシアの過激派とアルカーイダとのつながりを強めさせ得る」との見方を紹介しています。つまり、アルカイダのテロが東南アジアに移動する可能性です。
military.comの記事は、パキスタンで活動するラシュカー・イ・タイバ(Lashkar-e-Taiba: LeT)とタリバンが組んだ場合の危機を取り上げています。
ラシュカー・イ・タイバは2006年以降、アフガニスタンに戦士を送ってきました。1年近く前、「The New York Times」はテロ組織が訓練基地を造り、アフガンの民間人と人道支援計画で働くインド人を狙っていると報じました。半年前、NATO軍の東部司令部の米陸軍のジョン・F・キャンベル少将(Maj. Gen. John F. Campbell)は、アフガンの敵にラシュカー・イ・タイバが含まれていると言いました。タリバンと同様にラシュカー・イ・タイバはパキスタンの情報部ISIの支援を受けていると言われます。ラシュカー・イ・タイバはインドのムンバイでテロ事件を起こしており、テロを警戒するインドが国境でパキスタンと対立する危険があると指摘しています。
産経新聞の記事には首を捻りました。アルカイダの最終的な目標は、北アフリカから西アジアにかけて、一大イスラム帝国を建設することです。そこでは厳格なイスラム教の慣習が認めらることになっていました。東南アジアは彼らの計画の外にあります。確かに、東南アジアのテロ組織とアルカイダが関係はあり、米軍も対テロ部隊を常駐させています。しかし、アルカイダにとって、先に完了させなければならないのは、当初の目標地域の既存権力を破壊し、自分たちの国を建設することです。パテック容疑者がアボタバードにいたことは証拠になりません。アルカイダのような組織は軍隊とは違い、各地域のグループのつながりは緩やかで、機に応じて協力したり、別個に行動したりしています。「ローカルなものから、かつての米国系のホテルやファストフード店へ移る」というのは、地元政府に関する施設ではなく、米資本の企業が狙われるという意味でしょうが、どういう根拠かは分かりません。アルカイダのためにアメリカ企業を攻撃して、現地政府の攻撃を招き、自分たち本来の目標を達成できなくなることを、彼らは望まないはずです。
ラシュカー・イ・タイバとタリバンの連合の方が数段、現実味があります。それにより、パキスタンとインドの関係が悪くなれば、この地域は一層不安定になります。産経新聞の記事は、なんとかしてアルカイダの脅威を日本に近づけるために書かれたように感じられます。
専門家は可能性がまったくないものは肯定するので、記者が望んだ答えを意図せず口にすることがあります。
アルカイダの今後は、まだ明確ではありません。拙速に結論を出すべきではありません。私はむしろ彼らがアフリカへ浸透することを心配しています。
|