ビン・ラディン殺害の続報
オサマ・ビン・ラディン殺害について、military.comの続報から、気になる部分をまとめました。
予想外の高温は突入隊を載せたヘリコプターがハードランディングをする不調を引き起こしました。襲撃で殺された女性はビン・ラディンを見つけさせた連絡係の妻と考えられています。
シールズたちは大きな住居に入ると、遭遇した人たちにプラスチック製の手錠をかけ、「ジェロニモ(Geronimo)」というコードネームの目標を追跡しました。ビン・ラディンが撃たれると、墜落したヘリコプターを爆破する前に、彼らは捕虜を住居から遠ざけるために逆戻りしました。
左目の上を正確に撃たれて殺されたビン・ラディンのビデオと写真を公開するかどうかを検討しているとき、リスクの高い襲撃のより完全な詳細が出てきました。
上院情報特別委員会の議長で、襲撃の新しい情報をいくつか公開したダイアン・ファインスタイン上院議員(Sen. Dianne Feinstein)は、ビン・ラディンの住居について、昨年12月に知ったと言い、ワシントンがブロックバスター級の秘密を守れるというレアな証明を提供しました。
バラク・オバマ大統領は木曜日にニューヨークのグランドゼロに行く計画を立てました。
テロ対策担当補佐官のジョン・ブレナン(John Brennan)は、急襲で得られたアイテムをすでに評価中だと言いました。ハードディスク装置、DVD、書類の山など、後継者と推定されるアイマン・アル・ザワヒリ(Ayman al-Zawahri)に導くかも知れないアルカイダの活動の詳細を米情報組織に与えるかも知れません。
アフガニスタンのタリバン広報官、ザビフラ(Zabihullah)は、ビン・ラディンの死について語るのは「時期尚早」と言い、アメリカが確証を示していないと付け加えました。
米政府当局者は、写真の証拠はビン・ラディンが左目の上を撃たれ、頭部の一部が吹き飛んだことを示すと言いました。彼は胸も撃たれました。米軍は子供23人、女性9人、ビン・ラディンの連絡係、殺害されたビン・ラディンの息子などを発見しました。
対テロ当局者は、危険が高くてホワイトハウスが拒否した場合、特にビン・ラディンがすでにそこにいないことが分かったら、住居を爆撃することを検討しました。
連絡係はクゥエート生まれのシェイク・アブ・アーメド(Sheikh Abu Ahmed)で、アブ・アーメド・アル・クゥエイティ(Abu Ahmed al-Kuwaiti)という名前で知られていました。
military.comの別の記事から要点をまとめました。
シェイク・アブ・アーメドはクゥエート生まれのパキスタン人でした。CIAが彼を特定したとき、彼はどこにも見つかりませんでした。CIAの情報源は彼がどこに隠れているのかを知りませんでした。ビン・ラディンは、国家安全保障局の盗聴技術者に察知されないように、電話やコンピュータを彼の近くで使わないことに強く固執しました。
アーメドは拘留者によって、アルカイダのメンバーとその家族が隠れ家を見つけるのを助ける中堅の要員だと特定されました。しかし、彼の居場所は謎でした。グアンタナモベイ収容所の書類によると、ある抑留者はアーメドがアフガン侵攻中に米軍を避ける間に負傷し、後に抑留者の腕の中で死亡したと言いました。
月曜日の夜明け前、ヘリコプターはアフガン東部のジャララバードを出発しました。ヘリコプターはレーダーシステムを避ける最先端のテクノロジーを使いながらパキスタンの空域に入りました。
公式に、作戦は「殺害もしくは捕獲任務(a kill-or-capture mission)で、非武装や降伏しようとする人物は殺しません。しかし、壁の後ろに隠れる者は誰もが降伏する気はないことは明白だったと言いました。
ヘリコプターは住居の中に降下し、壁の背後にシールズを降ろしました。発砲はありませんでしたが、直後にヘリコプター1機が墜落し、政府が未だに説明しない理由により横転しました。シールズに負傷者はおらず、任務は続行されました。
偵察衛星からの監視のお陰で、米軍はビン・ラディンの家族は2階と3階で発見されるだろうと知っていました。シールズはまず住居の他の部分を確保し、ビン・ラディンが隠れている部屋へ進みました。銃撃戦が起こりました。
アーメドと彼の兄弟が殺されました。それから、シールズはビン・ラディンを彼の左目の上を撃ち抜き、頭部の一部を吹き飛ばして殺しました。彼の視覚的な識別のためのコールサインを用い、兵士の1人が「ジェロニモ戦死」と報告しました。
BBCの記事も紹介します。
ビン・ラディンは殺されたときに武器を持っていませんでした。ビン・ラディンの妻は足を撃たれましたが、殺されませんでした。銃撃戦で殺された女性は、人間の盾に使われました。
夜明け頃の作戦なのに、高温でヘリコプターが墜落するのなら、それは欠陥機です。イスラマバードの気温でみると、5月の最高温度は摂氏39度で、最低温度は23度でした。この気温でヘリコプターが墜落するのでしょうか。米政府の発表は直ちには納得できません。
これらの記事は事実関係の把握に役立ちますが、コメントすべきことはそれほどありません。しかし、ワシントンが秘密を守り抜いたことに対する皮肉には笑いました。確かに、政府周辺からは、サービス精神に溢れた情報提供があります。しかし、ビン・ラディンに関する事柄でヘマをやれば、致命的であることは誰もが分かっていたようです。
誰が死亡した女性を人質の盾にしたのかは不明です。周囲の人物ともビン・ラディンとも報じられていることから、正確な報告がなされていないのでしょう。
ところで、Google Earthのビン・ラディンの住居周辺の写真が今月9日に撮影されたものに切り替えられています。過去の写真も見る機能を使うと、2001年、2005年の様子と比較できます。
それから、東日本大震災の被災地の写真も4月11日に撮影したものに切り替えられており、被害を確認できるようになっているのでお知らせします。
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