「人間の盾」はなかった
ワシントン・ポストによれば、米政府は火曜日にオサマ・ビン・ラディン(Osama bin Laden)は射殺されたとき、武装しておらず、人間の盾」の女性の背後にもいなかったと、主張を後退させました。
作戦を監督したCIA長官、レオン・パネッタ(Leon Panetta)は、米情報機関はビン・ラディンが標的になったパキスタンの住居に住んでいることを証明する写真やその他の証拠を持っていなかったと言いました。パネッタ長官は「Time magazine」に、アナリストはビン・ラディンが見つかるのは60〜80%の確証しかないとしていました。「我々は、実際にかつてそこにいたかや、定住していたのかという直接的な証拠を持っていませんでした」と彼は「PBS NewsHour」のインタビューで言いました。「我々はそこに入れるが、ビン・ラディンをまったく発見できないというのが現実でした」。オバマ大統領はそれでも作戦を承認したと、パネッタ長官と他の政府当局者は言いました。ビン・ラディンの所在に関するより決定的な情報が得られるチャンスはほとんどありませんでした。
突入隊はビン・ラディンの死体だけでなく、コンピューターやその他の資料も運び、分析のためバージニア州のCIA本部に送りました。
下院情報委員会の議長、マイク・ロジャース下院議員(Rep. Mike Rogers)は、ホワイトハウスがビン・ラディンの最期を利用しようとしているように見えると批判しました。「私は、これを政治やプロパガンダの利益のために不正に利用しようとすれば、トラブルになると考えます」「私はこれは結局はためにならないと思います」。
ホワイトハウス広報官、ジェイ・カーニー(Jay Carney)は、作戦の更新がまだ流れ込んでいる時にも、政権が詳細を共有するのにあまりにも性急だったための手順ミスが原因だとしました。彼と他の当局者は、ホワイトハウスは情報の質がよくなかったので、自発的に不正確なものを修正したと強調しました。
他の当局者は、アボタバードでの40分間展開された複雑で混沌とした作戦の詳細を依然として文章化しようとする軍当局が集めた現場報告の矛盾する情報が原因としました。
カーニー広報官の説明は、テロ対策補佐官ジョン・O・ブレナン(John O. Brennan)のそれと主要な部分で異なりました。ブレナンは、ビン・ラディンが激しい銃撃戦で撃たれる前に、彼の妻の背後で縮こまっていたと言いました。また、ビン・ラディンが武器を発砲したかは不明だと言いました。「彼が1発でも撃ったかどうか。率直に言って、私は知らない」と彼は言いました。彼は銃火の中の彼の妻だと考えられる女性は彼女自身の意志で行動したかも知れないとも言いました。
カーニー広報官はその説明に大きな変更をしました。ビン・ラディンの妻は「突入隊員に突進し、足を撃たれたけども殺されませんでした。ビン・ラディンはそれから撃たれて殺されました。彼は武装していませんでした」。
カーニー広報官とその他の者たちは、海軍シールズの25人とその他の要員のチームは、ビン・ラディンを生け捕りにする準備をしていたという政府の主張を擁護しました。「彼は米軍の要員に抵抗しました」とカーニー広報官は言いました。武器なしにどうやってそうするのかと尋ねられると、カーニー広報官は「抵抗に火器は必要ありません」と言いました。
パネッタ長官は、交戦規定はビン・ラディンが手を挙げ、降伏して、まったく脅威を示さないように見えたら、米軍が拘束することを要求したろうと言いました。しかし、彼は「私は彼は何かを言う多くの時間はなかったと思う」と言い、シールズがビン・ラディンがいる3階に着いたとき、「なされた何か脅威的な動きがあり…それが彼らが発砲した理由です」と付け加えました。
急襲について説明した米当局者は、ビン・ラディンと対決した最初のシールズは敵対的な意図を認めたと言いました。「彼は床に伏せたり、降伏しようとしていませんでした」「彼は抵抗しました」。
作戦について説明した米当局者は、米軍は非常な危険に直面し、彼らが準備していなかった、いくらかの障害に遭遇したと言いました。ある当局者は、ビン・ラディンがいる階へ行く階段は、作戦計画で想定せず、シールズが訓練したレプリカに含まれないバリケードで保護されていたと言いました。
ロジャース下院議員は、米軍はビン・ラディンが建物に爆薬を仕掛けた可能性と戦わなければならなかったと言いました。「彼らは彼がボタンに指をかけているかどうかを知りませんでした」「3,000人を殺した人物と可能なことについて考えてみてください」。
ビン・ラディンに遭遇する前に、突入隊は2人の護衛を1階で射殺し、女性1人が十字砲火を受けたと、カーニー補佐官は言いました。ブレナンは当初、作戦で殺された女性はビン・ラディンの妻で、盾となったと言っていました。
ビン・ラディンの妻は治療を受け、パキスタン情報部に拘束されています。米当局者は、彼女がパキスタン当局に、2005年に建設されて以来、少なくとも一時は、ビン・ラディンが住居に住んでいたと述べたと言いました。当局者は女性にアクセスする要請は拒否されたと言いました。
アメリカの偵察衛星は何ヶ月も施設を丹念に調べましたが、ビン・ラディンの写真を撮影できませんでした。パネッタ長官は、ある時点で「我々は、少なくともアルカイダの指導者の外観を持つ、中庭をゆっくり歩いていた人物に気がつきました」「しかし、我々はそれが実際に彼だとは確認できませんでした」と言いました。
住居の生存者のアイデンティティについて疑問が残っています。米当局者は、少なくとも2人の女性はビン・ラディンの妻で、彼は何人もの子供の父親でした。しかし、彼らの名前や年齢は現在は不明です。ビン・ラディンは、少なくとも4人の妻と少なくとも11人の子供の父親です。パキスタンに潜伏中に彼の家族がさらに増えたかどうかは現在不明です。
記事の一部を省略してまとめました。
この記事で情報の錯綜が次第に明らかになりました。私は女性を「人間の盾」にしたのが誰かを疑問視していましたが、その事実自体がなかったというわけです。また、妻が現場に2人いたようですから、そのいずれかの行動が報告された際に混乱したのかも知れません。
記者たちが最初に質問したのは、現場にいない広報官やCIA長官ですから、細かいことまでは分からないのです。これは福島第1原発にいない枝野官房長官に現場の状況を聞くのと同じようなことなのです。
ロジャース下院議員が言う住居に爆弾の話は、たわいのない想像に過ぎません。日常的に住宅に爆弾などを仕掛けていれば、安心して住めるはずはありません。しかし、地下道などを設けていたら、追跡を逃れるために、その入り口に仕掛け爆弾を設置して逃げる可能性はあると考えます。
パキスタン政府が作戦を知らされていなかったのかとか、なぜ軍施設がある街で作戦が可能だったのかという疑問が提示されています。
当然の疑問です。市内には軍施設がいくつかみられますし、当然、警察もあったはずです。しかし、現場は市街地から離れた農村地帯の中にあり、通報され、当局が駆けつけるまでには一定の時間がかかります。シールズはそれを予見し、作戦に最大かけられる時間を決めていたはずです。それはおそらく30分以内だったでしょう。幸いにも、ビンラディンは高い塀を住居の周囲に巡らしました。これが騒音をある程度は遮り、パキスタン当局からの攻撃を防ぐのに役だったと考えられます。
激しい銃撃戦はなく、早朝に銃声が周囲に響き渡るようなこともなかったと、私は考えます。それほどの戦闘を行う数の男性は邸内にいませんでした。あっという間に少数の男たちは撃ち倒されたはずです。閃光手榴弾を使い、敵の動きを封じて無駄な銃撃戦を避け、次々と射殺していったのです。銃声よりも、ヘリコプターのローターの音やヘリが墜落したときの爆発音の方が遙かにうるさかったことでしょう。これがパキスタン当局が対処できなかった理由かも知れません。
いま、CNNがヘリコプターがステルス型だったと報じました。現場で撮影されたヘリコプターの形状が、その特徴を示しているとのことです。ヘリコプターは爆破したということですが、焼夷手榴弾で焼いただけでしょうから、かなりの部分は残ります。電子機器などは消失したでしょうが、機体そのものは残ったと考えられます。
襲撃に関する情報はかなり混乱していて、まだ分からない部分もあります。気になることは、これからもチェックしていきます。
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