ビン・ラディンは老いたのか?
military.comが、オサマ・ビン・ラディンの住居から発見された彼の手紙について報じました。彼はアルカイダの名前を変えることを考えていたようです。
手紙の中で彼は、アルカイダという名前の問題には、世界中のイスラム教徒をアメリカに対する聖戦の中に置く宗教的な要素がないと書きました。「一神論ジハード団」を意味する「タイファット・アル・タヘッド・ワル・ジハード(Taifat al-Tawhed Wal-Jihad)」あるいは「カリフ復興団」を意味する「ジャマート・アイアダット・アル・カリファット・アル・ラシダ(Jama'at I'Adat al-Khilafat al-Rashida)」のような名前は恐らく目的を達するだろうと、彼は書きました。ビン・ラディンの考えでは、「聖戦の基盤」を意味するグループのフルネーム「アル・カイダ・アル・ジハード(al-Qaida al-Jihad)」が単にアルカイダとなってしまったことが問題でした。「ジハード」を切り取ったことは、西欧が「イスラムとの戦いではないと見せかける」のを許したと、ビン・ラディンは書いています。アルカイダが本来の名前に戻す時が来たようだと。
日付けのない手紙はビン・ラディンの最近の書き物の中から発見されました。彼の多くの著述物と同じく、受取人は書かれていませんでした。諜報当局者は、ビン・ラディンが副官のアイマン・アル・ザワヒリ(Ayman al-Zawahri)、ナンバー3のムスタファ・アブ・アル・ヤジド(Mustafa Abu al-Yazid)と連絡するだけだったとしています。ビン・ラディンが使った連絡システムのため、手紙が送られたかどうかは不明です。アル・ヤジドは昨年、アメリカの空襲で死に、ザワヒリはビン・ラディンに取って代わりました。
去年、ザワヒリに宛てた手紙の中で、ビン・ラディンはアルカイダのイメージは特にイラクで、イスラム教徒を殺した攻撃のために損なわれたと言いました。その他の日記や手紙で、ビン・ラディンはアフガニスタンで共に戦った信頼できる長年の戦友が殺されたり逮捕されたことに不満を書いていました。彼の連絡システムを使って、ビン・ラディンはまだアルカイダ全体に一定の作戦統制を行うことができましたが、彼が指揮する男たちはより若く、未経験になりました。
手紙に直接関係があるところを中心に抽出しました。
この話を見る限りでは、ビン・ラディンは頭の固い老人で、北アフリカから中東にかけて大イスラム帝国を建設するような能力はないように思われます。よりによって、グループの名前にこだわるなんて、アドルフ・ヒトラーが熱心に軍服のデザインにこだわったのと似たようなものです。意味がありません。こんな小人物に、世界を変えるような能力があるとは思えません。同時多発テロ以降、アルカイダは目的と手段が合致しない行動を繰り返してきました。それでも、世界を震撼させるだけの力はあったわけですが、アルカイダへの支持は一定以上にはならず、アルカイダに反発する動きも出ています。その中で、名前を変えたら何とかなると考えていたのなら、それはすでに戦略的に無能としか言いようがありません。ポルノ雑誌が見つかった話が本当だとして、それと合わせて考えると、ただの変人だったのかという気がしてきます。
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