リビア作戦が米戦争権限法に違反?
military.comによれば、NATO軍が木曜日早朝にリビアのトリポリを爆撃しました。NATO軍の声明は、軍用車両、弾薬庫、地対空ミサイルランチャー、火器管制レーダーを攻撃したと言いました。
リビアのシュクリー・ガーネム石油大臣(Shukri Ghanem)は水曜日にローマで、彼はいま反政府派を支持すると言いました。ガーネムは2週間前にカダフィ政権を去り、火曜日にローマに到着したと言いました。イタリア外務省はコメントを拒否しました。リビアはガーネムが出張だと言ってきました。ガーネムはリビアの石油インフラが戦争によってひどく損傷したと言いました。米政府の統計では、石油とガスはリビアの輸出収入の95%、国内生産の25%、政府収入の80%を占めます。彼の離反は5人の将官を含む8人の軍高官の離脱に続きました。別に大佐1人と中佐4人を含むカダフィ派の軍人13人がチュニジアへ逃げたと、チュニジア国営通信社は言いました。これはチュニジアへ逃げた軍人の2つ目のグループでした。
水曜日にベンガジを訪問中の外国人外交官が滞在するホテルの隣で車が爆発しました。これはリビアの事実上の首都での珍しい攻撃でした。反政府派広報官、ジャラル・アル・ガラル(Jalal al-Gallal)は、爆発による負傷者や死者はおらず、事件がカダフィ体制の支持者によって行われたと言いました。
military.comによれば、金曜日早くにトリポリで、カダフィの住居に近い軍の兵舎、警察署、軍事基地、政府施設を狙った、少なくとも10回の連続したNATO軍の空爆がありました。犠牲者は直ちに明らかになっていません。匿名を希望するリビア政府当局者は、早朝の爆発の4回は以前にも攻撃を受けたカダフィ大佐の住居近くの兵舎だったと言いました。6回の攻撃は首都郊外のヘラ(Hera)とアジジヤ(Aziziya)の警察署と軍事基地でした。
military.comによれば、アメリカのリビア介入が議会の承認なしに60日間より長く軍隊を交戦状態に置くことで、戦争権限法(the War Powers Resolution)のグレーゾーンに入ったとの意見が出ています。
「私はオバマ政権が行ったリビアに関わる決定はいくつかの非常に深刻な憲法上の疑問…私が裁判所が取り扱う必要があると考えることを生じさせると考えます…」と、リビア介入に最初から反対してきたウォルター・ジョーンズ下院議員(Rep. Walter Jones)は言いました。
オデッセイの夜明け作戦(Operation Odyssey Dawn)が60日間の期限を過ぎてから2週間近く経ちましたが、ホワイトハウス広報官、ジェイ・カーニー(Jay Carney)は水曜日に記者に、ホワイトハウスは「戦争権限法に一致した方向で」活動していると言いました。
軍法の専門家でエール法科学校(Yale Law School)の上級研究員のユージン・フィデル(Eugene Fidell)は戦争権限法(the War Powers Act)の期限切れは軍がリビアのような作戦に参加するのを妨げないと言いました。「個人的な説明責任に応じるという軍人の懸念は理由がありません」「説明責任は下院と上院の手の中か、大統領は恐らく二期目を模索しているのだから、有権者にあります」「誰も眠れないほど心配するべきではありません」。
リビア空爆に関する情報と法律上の問題が報じられています。
反政府派が首都に進撃する準備の最中なので、NATO軍は依然として空爆を続けています。政府や軍の高官がさらに亡命を続けていることからも、政権内部に大きな亀裂が入っていることが分かります。ガーネム石油大臣が石油施設に被害が大きいという発言があったのも注目されます。カダフィ派は石油施設を攻撃して、反政府派の行為だと批判していましたが、偽装のためならそれほど多くは攻撃しません。よって、すべての損害がそのために生じたのかどうかが気になるところです。
記事の原文では「the War Powers Resolution」と「the War Powers Act」という二つの用語が使われていますが、どちらも同じ法律を指しています。「the War Powers Resolution」は1973年にベトナム戦争の反省として制定されました。「the War Powers Act」は第二次世界大戦時に政府の権限を拡大するために作られた法律と同じ名前で、混同する危険があります。両者は「非常大権法」と訳されることがありますが、「非常大権」は大日本帝国憲法下で定められた天皇の権限で、区別するためにも、ここでは使わない方がよさそうです。
戦争権限法は大統領の戦争権限を制限する法律です。軍を海外に派遣するためには、大統領は事前に議会へ説明し、48時間以内の議会へ報告、60日以内の議会から承認を受ける必要があります。しかし、急迫な戦争が行われている場合、60日間に限り大統領の判断で派遣できます。60日間を過ぎた時点で、大統領は議会の承認なしに派遣を30日間延長できます。
合法かどうかの判断は、米国法を詳しく知る必要があり、Wikimedia程度の説明を読んでも結論は出せません。米議会図書館ののウェブサイトには、法律の概要や判例、議会での審理が載っています(記事はこちら)。
戦争権限法の全文はこちらにあります。
この解説文のコソボ紛争の部分が、リビアでの事例に類似していると思われるので紹介します。
1993〜99年 クリントン大統領は旧ユーゴスラビア、特にボスニアとコソボに空爆や平和維持部隊の派遣のような様々な作戦に米軍を活用しました。これらの作戦は国連安保理の決議に従い、他のNATO諸国のメンバーと共に行われました。この間、大統領は議会に対して、米軍を使用する点で「戦争権限法に合致する」いくつかの報告を行いましたが、第4章(a)(1)には言及せず、よって60日間の制限時間を引き起こしませんでした。議会の意見は別れ、これらの武力を行使することに関する多くの合法的な手段が法律になることなく挫折させられました。議会が大統領の行動に意義を唱える法律を通過させられなかった不満から、トム・キャンベル下院議員とその他の下院議員は、特にコソボでの軍事作戦が始まってから60日間が過ぎ、大統領が戦争権限法に違反したと告発してコロンビア特別区連邦地方裁判所に提訴しました。大統領は、彼は憲法上で戦争宣言法には欠陥があると考えていると強調しました。法廷は大統領を支持し、議員たちには訴訟を起こす法的な権利がないとして、この決定はコロンビア特別区連邦高裁に支持されました。キャンベル対クリントン、203 F.3d 19 (D.C. Cir. 2000)を参照のこと。米最高裁はこの決定によって審理を開くことを却下しました。
第4章は議会への説明について述べた部分で、(a)は米軍が宣戦布告なしに投入される場合の報告書の内容を定めた部分であり、(1)には敵対行為や状況が明示する敵対行為に差し迫った関与をする場所の状況を報告することと定めています。法律のテクニックは不明ですが、クリントン大統領はうまく戦争権限法をすり抜けたわけです。
法律でうまく戦争をふせげればよいのですが、過去の事例はそうではないことを教えています。戦争権限法の解説を読めば、同時多発テロやイラク侵攻に関して、ブッシュ大統領が議会に求めた承認は可決されていることが分かります。いまや、両方の作戦とも評価は下落し切っています。戦争のような行為は、国家元首の決断がほとんどすべてを決するのです。元首が間違った判断をすれば、その失敗は国民が被るのです。このように戦争は非常に危険な行為であることを、我々は知っておかなくてはならないのです。
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