ロッカビー事件の犯人がカダフィ派集会に参加

2011.7.28


 military.comによれば、リビアでカダフィ支持の集会に1988年のパンアメリカン航空103便爆破事件(ロッカビー事件)の犯人、アブデル・バゼット・アル・メグラヒ(Abdel Baset al-Megrahi)が参加しました。

 車いすの爆弾犯がトリポリで群衆の中にいるのをリビア国営テレビが示しました。この映像は医学的理由で早期に彼を釈放した決定に対する批判をイギリスで再燃させました。

 イギリスは反政府派グループをリビアの合法的な政府と認定し、水曜日にカダフィ政権の外交官すべてを追放しました。

 アル・メグラヒは1988年の犯アメリカン航空を撃墜し、大半がアメリカ人の270人をスコットランドのロッカビー上空で殺害しました。彼は2009年に前立腺癌で、余命3ヶ月とされ、スコットランド刑務所から釈放されました。その年、彼はリビアへ帰国し、英雄として歓迎されました。「テレビ映像のアル・メグラヒの外観は、彼が釈放された解きに大きな間違いがなされたことを、さらに強く思い出させます」とウィリアム・ヘイグ外務大臣(Foreign Secretary William Hague)は言いました。アル・メグラヒが余命3ヶ月だという医師の診断は「ほとんど役に立たなかった」とヘイグは言いました。ハーグ大臣の保守党は、同情的な理由からアル・メグラヒを釈放するスコットランド政府の決定に対して反対し、彼の釈放への道を開いた労働党政府を批判しました。「この釈放に対する怒りと憤激は我々が見たものにより強まります」とヘイグは言いました。

 イギリスなどで再放送されたリビア国営テレビは、車いすに座り、白いターバンを着けて、青い医療用マスクを顎の下にたくし込んだアル・メグラヒを示しました。彼は痩せているものの、注意力があり、伝統的なリビアの衣装を着た男性たちの横にいました。

 ヘイグ外務大臣はイギリスがリビアの石油資産9,100万ポンド(1億5,000万ドル)を凍結解除していると言いました。ベンガジでは、反政府派のアブドル・ジャリル(Mustafa Abdul-Jali)はイギリスの決定を経済的、政治的な後押しとして称賛しました。ジャリルは反政府派はイスラムの断食月、ラマダンの期間も戦いを続けるとも言いました。「ラマダンの最中の戦闘は我々がやりたいことではありません」「しかし、カダフィが退陣しないなら、我々は戦います。あなたは今月が我々の士気を高いままにすることを知らねばなりません」。

 アブドル・ジャリルは、カダフィが辞任して国内で引退する提案は、もはやテーブルの上にはないと言いました。反政府派の代表は、提案はカダフィが退陣しなければならなかった最終期限と関連があるといいました。最終期限は過ぎ、「それは提案をすでに無効にしました」と彼は言いました。

 記事の以下は省略します。


 意外な人物が登場したことには驚きましたが、こうした当てつけは武力紛争では特に珍しくはありません。

 パンアメリカン航空103便爆破事件は、アメリカのトリポリ爆撃に対する報復として、リビア政府が行ったテロ攻撃でした。トリポリ爆撃はリビアが西ベルリンのディスコ爆破事件に関係していたことへの報復として行われました。「血は血を呼ぶ」の典型です。しかし、この事件はさらに強力な経済制裁をリビアに対して起こさせ、困窮したリビアは補償金を支払い、アル・メグラヒともう1人の容疑者を引き渡したのです。

 2001年にアル・メグラヒは終身刑を受けましたが、病気を理由に釈放されました。正直なところ、この釈放は判然としません。余命3ヶ月なら、とりあえず3ヶ月間様子を見て、症状がどうなるかを見てもよかったはずです。アル・メグラヒには、もはやテロ活動をおこなう力はないでしょうが、リビア政府にとってはプロパガンダの材料です。たとえ、彼が死んでも、英雄として盛大な葬式を行えば、リビア政府には大きな成果となります。

 リビア内乱で、ほとんどの国が反カダフィになったのは、こういう過去の経緯のためです。この際、カダフィには消えてもらった方が、後の平和を生むと考える国の方が多いわけです。逆に、アル・メグラヒの姿を示すことは、リビア政府にとっては当たり前のことだと言えます。

 反政府派は明確にカダフィの退陣と出国を主張しています。できれば、国際刑事裁判所にカダフィを連れて行きたいとも考えています。フランスの国内引退案は却下も同然です。戦いの定石としては、カダフィの国内引退はあり得ません。戦いは未来の不安定要素を完全に断つまでは終わらせるべきではないのです。



Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.