シルトは三方向で包囲 ワリドは北半分を掃討中

2011.9.19


 BBCによれば、シルト(Sirte)の暫定政権軍がシルトの東の入り口にいて、攻撃にエネルギーと勢いがついていると言います。バニ・ワリド(Bani Walid)ではカダフィ軍が新しい攻撃を始め、激しい放火で撤退を強いました。

 さらに増援が投入され、シルトの暫定政権軍の攻撃には900台の武装車両が関係していました。ハラワ(Harawa)の近くにいるアラステア・ライトヘッド記者(Alastair Leithead)は、大きな野戦砲が全線へいく途中で街のモスクを通り過ぎたと言います。シルトの東の入り口周辺で激しい戦闘があり、カダフィ軍は狙撃兵とロケット砲を用いました。特派員は5人が銃弾と破片で負傷し、1人が死亡したのを見たと報告します。過らは待ち伏せに誘い込まれたようですが、餌が捕まるとカダフィ軍の狙撃兵は去りました。「状況は非常に危険です。あまりにも多くの狙撃兵と想像できるすべての種類の武器があります」と戦士のマハメッド・アブドラ(Mohamed Abdullah)は言いました。NATO軍も戦闘に参加しており、イギリス軍のパトロールが装甲兵員輸送車1台とピックアップトラック2台を破壊しました。それより前、イギリス空軍のトルネードが街の西方にある弾薬施設を爆撃しました。

 暫定政権軍は金曜日にバニ・ワリドを奪取しようとしましたが、撤退を余儀なくされました。それ以来、激しい衝突が続いています。バニ・ワリドの記者は、爆発音と継続的な機関銃の発砲が、カダフィ軍が街郊外の暫定政権軍の陣地に砲撃をした日曜の朝に聞かれたと言います。迫撃砲は街の北の入り口に沿った、暫定政権軍を収容する建物を狙いました。暫定政権軍指揮官の1人、アブサリム・ニューナ(Absalim Gnuna)は「我々は一晩中戦いました。我々は街を40kmの範囲で、すべての方向で包囲しました」「中央の峡谷の北側の大半は掃討します。それは大変な戦いです」。ニューナ氏は、街から出られない家族が奪取するよう助けるようにも命令を受けたと言いました。テジュラの近くから来た戦闘員は暫定政権軍の増援に到着したと報告されます。


 シルトもバニ・ワリドも包囲され、中にいるカダフィ軍は動くことができません。反面、暫定政権軍は包囲戦上に次々と増援を送り込めます。包囲される側は物資を使い尽くす一方で、包囲する側は自由に増援を送れるのです。これが籠城戦の問題点です。バニ・ワレドを40kmの範囲で包囲しているというのは、3つの幹線道路とその枝道に検問所を設けて監視しているということで、敵味方が接近しているシルトの包囲とはやや意味合いが違います。砂漠の国特有の包囲方法です。

 「イギリス軍のパトロール」というのが少々気になります。空軍のパトロールのことだと思われますが、そう書いていないので陸軍のようにも読めます。SAS部隊が投入されていることは既知ですが、彼らはパトロールはやっていないはずです。

 バニ・ワリドはやはり街の真ん中を東西に走る峡谷の北側を占領しようとしているようです。中央部にある橋を渡れればよいのですが、ここは当然、カダフィ軍の照準下にあります。常識的には東側にあるもう1つの道路周辺を占領するか、ミスラタから来ている道路で東端から攻め、軍を南半分に送り込むのが暫定政権軍がやるべき作戦です。カダフィ軍を北と東から同時に攻めることで、彼らの戦力を殺ぐ効果があります。

 それにしても、もう少し情報が欲しいところです。



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