カダフィ支持派がニジェールへ入国
BBCによると、リビア軍の装甲車両の車列がニジェールへ入国しました。車列は主にカダフィ大佐のために戦うツアレグ族(Tuareg)の兵士を運んでいると考えられ、アガデス(Agadez)の町に入りました。
カダフィ一家のメンバーが車列の中にいたかどうかは不明です。大佐の広報官は彼がまだリビアにいると言いました。車列はニジェール国境を越え、月曜日遅くにアガデスに到着したと、フランスとニジェールの軍消息筋は言いました。彼らは車列には200~250台の車両があり、ニジェール軍が護衛していたと言いました。これらの主張は独自に確認されていません。アガデスの情報源は、200台の車列の中で、60台がリビアの車両で、残りがニジェールの車列だったと言いました。
トリポリにいるBBCのケビン・コナリー(Kevin Connolly)は、砂漠ルートは彼らが反政府軍から逃げるために最もありそうな方法なので、車列がカダフィ大佐の取り巻きたちを運んでいるという推測があると言います。
ニジェールと国境を共有するブルキナファソ(Burkina Faso)は、カダフィ大佐に亡命者保護を提供します。
BBCのジョン・レイン(Jon Leyne)は、そうした巨大な車列はNATO軍が見て見ぬ振りをしない限り、砂漠を横断することはできないと言います。
NATO軍の広報官は、諜報の問題についてはコメントしないと言いました。
別に、カダフィ大佐の治安責任者のマンスール・ダウ(Mansour Daw)がニジェールに入国したことが報告されています。
月曜日早くに、カダフィ大佐の広報官、ムーサ・イブラヒム(Moussa Ibrahim)は、リビアの指導者は「非常に高い精神」のままであると言いました。「彼はこうした手におけないグループの手が届かない場所にいます。彼はリビアの中にいます」。
別のBBCの記事によると、マンスール・ダウは日曜日にニジェールに入り、アガデスの町を経由して移動しました。重武装したカダフィ支持派と金、現金が乗った車列が国境を渡ったといわれます。ニジェール当局は、カダフィ大佐が共に移動しているとは考えられないと言います。ニジェール当局者は、カダフィ大佐の警護部隊を指揮したダウが日曜日にニジェールへ入ったと言いました。匿名の米当局者はその他の有名な当局者が彼と共に到着したと言いました。
少なくとも50台の車列は月曜日にアガデスに到着し、南西950kmのニアミー(Niamey)へ向かって進むと考えられています。
「金、ユーロ、ドルを積んだ車両は、ツアレグ族の助けを借りて、ユフラ(Jufra)からニジェールへ入りました」と国家暫定評議会(NTC)のファトヒ・バジャ(Fathi Baja)は言いました。
マリとニジェールの元反政府派のツアレグ族は、1970〜1980年代にリビアで訓練を受けました。
アメリカはニジェールに入国したカダフィ派高官を逮捕するよう要請しました。「我々はニジェール当局者に起訴される可能性があるこれらのメンバーを拘留するよう強く訴えました」と米国務省のビクトリア・ヌーランド(Victoria Nuland)は言いました。
南西でニジェールと国境を接するブルキナファソがカダフィ大佐を歓迎すると申し出たという初期の報道は、国の通信大臣により否定されました。アラン・エドゥアール・トラオレ(Alain Edouard Traore)は「ブルキナファソはカダフィ氏に亡命者保護を提供しませんでした。ブルキナファソはカダフィ氏がこの国に来ていると知らされていません」。
NTC広報官、グマ・エル・ガマティ(Guma el-Gamaty)は、カダフィ大佐を助けたと証明されればニジェールは罰を受けるだろうと言いました。「ニジェールは南方のリビアの隣国であり、リビアとの将来の関係を考慮していなければなりません」「もし確認されたら、これはリビアとニジェールの将来の関係を非常に悪化させるでしょう」。
火曜日にバニ・ワリドの部族長との新しい交渉が行われました。交渉の後、NTCの交渉人、アブドラ・ケンシル(Abdullah Kenshil)は、部族長たちが「我々が彼らを傷つけることを意図せず、彼らの生命を守ることを納得してくれました」と言いました。部族長たちは反政府派を町に入れるため、住民とカダフィ軍を説得しに町に戻りました。彼は平和的な対決の終了を確信していると言いました。NTCのムスタファ・アブドル・ジャリル(Mustafa Abdul Jalil)交渉は土曜日の最終期限まで続くと言いました。
ワシントン・ポスト紙の記事では、この車列に対する情報はないと火曜日早くに言いました。NATO軍の軍用機は通常、サハラ砂漠の南方深くを哨戒していないと言いました。
ユフラの位置は、BBCの地図を見ると、昨日紹介したとおりで、フーンの北東です。
国内報道では車列は200台と報じられていますが、大半はニジェール軍であり、カダフィ派は60台に過ぎません。こういう重要な部分をなぜ詳細に報じないのか、私は憤りすら感じます。どのような車両かは不明ですが、装甲車200台と60台では、戦闘力が大幅に違い、ここは正確に知りたい部分なのです。この数だと、カダフィ大佐と近いツアレグ族が反政府派の攻撃を避けるためにニジェールに逃げたとも解釈できます。
カダフィ大佐はこの車列の中にはいないでしょう。実際には行われなかったものの、NATO軍が車列を空爆する可能性を、逃げる側は考えるからです。もし、彼がニジェールへ逃げるとすれば、まずアルジェリアに入り、そこからニジェールへ向かうのが簡単そうです。
車列が金、ユーロ、ドルを積んでいたという話はどうして分かったのかが疑問です。武装していることは外観で分かりますが、積荷の中身は推測かも知れません。
BBCの報道は混乱しており、ブルキナファソはカダフィ大佐を受け入れないということです。ニジェール経由で同国へ入り、亡命政権を作るというシナリオではないのかも知れません。しかし、アルジェリアもブルキナファソも本当のことを言っていない可能性もあり、観察は継続されるべきです。
レイン記者が言うように、砂漠を完全に監視するのは不可能です。NATO軍の偵察資産を使っても、調べられるのはごく一部の地域だけです。南部の道路をすべて監視することはできず、こうした車列が移動してもNATO軍は知らなかったと、私は考えます。偵察能力を公表しないために、こういう分野の情報開示は制限され、謎が残る形になるでしょう。
バニ・ワリドはやはり交渉が続けられていたようです。状況が少し好転しているのが救いです。
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