戦死者の冒涜は戦争の歴史か?
military.comが兵士による敵戦死者への冒涜について報じました。その要点を紹介します。
アキレスがトロイの城壁の周りでヘクターの死体を引きずり回して以来、メッセージを送るか、復讐のために、戦士たちは打ち倒された敵の死体を冒涜して来ました。
アフガニスタンに派遣される前に戦時法を海兵隊に教えるポール・ハケット海兵隊予備役中佐(Lt. Col. Paul Hackett)は金曜日に、彼は海兵隊員の行動を許容しないことを明らかにしました。しかし、彼はあまりにも厳しく罰を与えないよう警告し、「若者に生きるために人を殺すように要求する時、それを制限するのには沢山の努力をします」。長い戦争の歴史の中では、この出来事は他の戦場の非道さに比べると色あせます。しかし、今回の一つの相違点は、インターネットの時代には、それはカメラで撮影され、すぐに全世界と共有されるということでした。心理学者でドレクセル大学教授、「軍事心理学 臨床および作戦への適用(Military Psychology: Clinical and Operational Applications.)」の共同編集者のエリック・ツィルマー(Eric Zillmer)はその他の、より凄惨な戦争犯罪のほとんどトップに立つために「この非道行為は私にはとても興味深いのです」と言いました。「技術のお陰で、あなたがビデオを実際に見られます。ほとんどの他の戦争犯罪は、それについて聞いたり、読んだりするものです」。
戦死者を冒涜することの禁止は、戦争それ自体とほとんど同じくらいに古いのです。紀元前12世紀に起きたと思われる「ホメロス」のトロイ戦争を描いた叙事詩「イーリアス」の中で、アキレスはヘクターを殺し、適切に埋葬することを拒否しました。彼はゼウスが「天の憤激を買う」と伝えた後で妥協します。7世紀には、預言者マホメットの義父でイスラムの最初のカリフであるアブー・バクル(Abu Bakr)が戦場でのガイダンスとなる十カ条を出しました。その中に「死体を損壊してはいけない」とあります。1907年には、ハーグ条約がすべての交戦の後で戦闘員は死体からの略奪してはならないと言いました。1949年のジュネーブ条約も死者からの略奪を防げと言いました。
15世紀、ヴァラキアのヴラド3世はトルコ兵の死体を串刺しにして、「串刺し公」という恐ろしいあだ名をつけられました。何世紀にもわたり、指、頭皮、その他の体の部位は戦場のトロフィーとして獲得されてきました。それでも、ツィルマー教授は敵戦死者の冒涜は「文化を越えてタブー」とされてきたと言いました。「不適切であることを説明する必要はありません」「それを見る者は誰もが汚らわしいと言います」。
しかし、ハケット中佐と同じく、彼は兵士(特に団結力の強いグループのメンバー)が殺害任務に行き、それから急に止めることは難しいと言いました。そして、こうした不正行為を禁止することは、参加者の数を増やす、彼が「責任の拡散」と呼ぶ現象へ陥る傾向があると言いました。
第2次世界大戦の伝記「With the Old Breed」の中で、E・B・スレッジ(E.B. Sledge)はペリリュー島で膨れて、黒ずんだ海兵隊員の死体について書きました。彼らの頭部や手は切断され、ペニスが口に詰め込まれていました。「私の感情は私がこれまでに体験したものを越えて、日本人に対する憤怒と激情に固着しました。「その時から、私はどんな環境でも彼らに対してまったく哀れみや同情を感じませんでした。私の同僚は背嚢を分解し、記念品を着服し、金歯を取りましたが、私は決して日本人が我々の死者に近寄れる時に行った野蛮な死体損壊に関与する海兵隊員は見ませんでした」。
死体への排尿はまったく目新しくありません。同じ本で、スレッジは和解海兵隊将校が沖縄で「彼は可能なら、法律に基づく紳士なのに日本人の死体を見つけて、その上に立ち、口に向けて放尿しました。それは私が戦時中にアメリカ人が行ったことで最も不快なものでした。私は彼が海兵隊将校であることを恥ずかしいと感じました」。
アフガンからのビデオが出た、まさしくその日、サニック・デラ・クルツ3等軍曹(Sgt. Sanick Dela Cruz)はキャンプ・ペンデルトン基地の法廷に立ち、2005年にイラク人死者の頭に排尿したことを証言しました。クルツはハディーサで24人のイラク人を殺した海兵隊員の法廷に出廷しました。クルツはIEDで殺された同僚に関する苦悩にかられていたと言いました。「感情が心を占めていました」と彼は被告人弁護士に言いました。
記事の後半は省略します。記事を最後まで読んでも、対策らしいことは書かれていません。
正直なところ、この記事は事件の反響が大きくなったことに対する当惑のようなものが含まれているように思われました。そこで、アメリカ人が言い訳モードに陥って、過去の事例を並べたという感じです。それに、私が先日触れたことと、ほとんど内容が同じです。
たとえば、アキレスとヘクターの話は、言うまでもなく「トロイの木馬」に関係するギリシャ神話の中の話です。トロイの戦いは西欧人にとって、戦いの最も古い記録とみなされていて、戦争においては、常に念頭に置かれることで有名です。「こんな時、アキレスならどうするかな?」と、自分が置かれた状況をギリシャ神話の登場人物になぞらえて考えるわけです。記事の冒頭でトロイ戦争を取り上げたのは、要するに、死体の冒涜は極めて古くから行われていることだと言いたいわけです。
ヴラド3世は吸血鬼ドラキュラのモデルになった人物ですが、感情がなくて死体を串刺しにしたのではなく、敵を震え上がらせ、退却させるために、軍の通り道に串刺しにした死体を並べたのであり、立派な戦略でした。
この記事に書かれている太平洋戦争中の事例は、軽い事例ばかりです。ウィキペディアには「米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断」という記事があり、英語版の一部を訳したものが読めますが、その内容はもっと深刻です。日本軍は捕まえた米兵を拷問した挙げ句に殺しましたが、米兵も似たようなことをして鬱憤を晴らしていたのです。
ハケット中佐があまり厳しく処罰すべきでないというのは、現場の士気喪失を招きかねないという意味です。敵を殺せと教えられている者に、その死体を丁寧に扱えと言うのは、正反対の行為を命じることだからです。
しかし、記事は問題の対策についても触れるべきだったと思います。過去の事例の列挙で終わってしまうのでは、意味がありません。
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