ホームレス連続殺人はPTSDが一因か?
military.comが、元海兵隊員によるホームレス連続殺人事件の続報を報じました。こちらの記事を中心に紹介することにします。
2008年にイラクの派遣された数ヶ月後、現在はホームレス4人を殺害した容疑をかけられている元海兵隊員は家族に、短くて楽観的なビデオメッセージを送りました。大半がスペイン語のビデオは、イツコアトル・オカンポ(Itzcoatl Ocampo)が彼の父親のファーザーズデイを祈り、10歳の妹のためにドクター・スースの童話を読むのを示しました。
17歳の彼の弟、ミクスコアトル(Mixcoatl)は、その夏に郵便でビデオを受け取った時、どんなに幸せだったかを思い出します。「私たちは派遣されてからは彼を見ていませんでした」「父はビデオを見ました。彼がそれを見た時、彼はどきどきしていました」。
友人と家族によれば、ずっと陰鬱になったオカンポは2010年に除隊した後で家に戻りました。彼の両親は別居し、父親は結果的にホームレスになりました。
オカンポの父、ラフュギオ・オカンポ(Refugio Ocampo)は、彼の息子がイラクで軍務に就いた後、違う人間になって戻り、幻滅を口にして、家族生活が壊れるとより悲観的になり、民間人としての道を見出すためにもがいたと言いました。ラフュギオは仕事と家を失い、彼が直すのを手伝っている壊れた大型トラックの運転席に避難所を見つけるまで、橋の下でで生活することになりました。長男が逮捕される数日前、オカンポは父を訪ね、通りで過ごすのは危険だと警告し、犠牲者の一人の写真を示しました。「彼はとても私を心配していました」「私は彼に、心配するな、私は逆境に強い。何も起きないだろうと言いました」と彼はAP通信に言いました。
イツコアトル・オカンポは母親、叔父、弟と妹と一緒に、ヨーバリンダ(Yorba Linda)郊外に囲まれた馬牧場の借家で暮らしていました。慎ましい家で、ほとんど英語が話せない彼の母親は涙を流しながら、クローゼットから海兵隊の礼装を持ってきて、部隊写真、軍からもらった表彰状と勲章を見せました。
息子は父親が望んだとおり、2006年に大学に行かずに高校から友人を追って海兵隊に入りました。イツコアトルは2010年に除隊し、彼の家族が混乱していることを知るために家に戻ったと父親は言いました。その月、イツコアトルの友人、ヨーバリンダのクラウディオ・パティーノ4世伍長(Cpl. Claudio Patino IV・22歳)はアフガニスタンのヘルマンド州で戦闘中に殺されました。「そのニュースを知ってから、彼はまったく変わりました」とミクスコアトルは言いました。彼の兄は週に2度、パティーノの墓を訪れました。
ラフュギオとミクスコアトルはどちらも、イツコアトルが手の震えと頭痛を患っていたと説明しました。彼が深酒を始めるまでは治療が彼を助けました。「彼は狂ったように飲み始めました。あまりにも多く」と父親は言いました。ベトナム帰還兵の隣人と父親はイツコアトルに退役軍人病院で治療を受けさせようとしましたが、彼は拒否しました。ラフュギオは息子が精神的な治療を受けることを望むと言いました。「彼は何の意味もなさないこと、世界の終わりが始まろうとしていることを話し始めました」。
ラフュギオが彼の家族から離れて暮らす間も、彼らは親しいままです。彼は毎日、子供たちに会い、妻はトラックがあるフラートン市(Fullerton)の駐車場に食べ物を運びます。ラフュギオは、彼がメキシコで弁護士として教育を受け、妻とイツコアトルと共に1988年に移住して、アメリカ国民となったと言いました。彼は倉庫の管理に人になり、ヨーバリンダに家を買ったと人生の成功を説明しました。数年前に、彼は仕事を失い、貯金を使い果たし、家を失って、妻と別居しました。
「かつては、彼は何かをする自発力、熱望がありました。しかし除隊後、彼はそれらのどれも持っていませんでした」とラフュギオは言いました。それは高校で礼儀正しく、意欲のある学生だった息子ではなかったと、彼は言いました。彼は金曜日の夜に来て、犯罪現場の監視写真を見せた捜査官に、写真の中の人物が彼の息子だと認めませんでした。「彼がそれをやったのなら、間違いなく、彼は間違っています。しかし彼について何かの間違いがあります」。
前の記事と合わせて、被害者の名前と事件を列挙します。
氏名・年齢 |
日 |
現場 |
ジョン・ベリー(John Berry・64歳) |
1月13日 |
アナハイム(Anaheim)のファーストフード店の近く |
ジェームズ・パトリック・マックギリバリー(James Patrick McGillivray・53歳) |
12月20日 |
プラセンティア(Placentia)のショッピングセンターの近くで殺害 |
ロイド・ミッダー(Lloyd Middaugh・42歳) |
12月28日 |
アナハイムの河床跡の近く |
パウルス・スミット(Paulus Smit・57歳) |
12月30日 |
ヨーバリンダ図書館の外 |
まるで苦悩が伝わってくるような記事です。
家庭事情が複雑だとしても、イツコアトル・オカンポには殺人を犯すような理由はなく、友人の死がショックだったとしても、死を間近に見たわけではありません。PTSDが原因の根底にあり、それと周囲の環境とが複合的に働いて、殺人鬼を作り上げたように思われます。もちろん情報は少なく、断定するつもりはありませんが、手の震えは戦闘ストレスによるPTSDによく見られる症状です。父親と隣人が心配したのは正しい判断でした。この時に適切な処置が取られるべきでした。この時点でも遅すぎたと言えますが、まだ引き返すチャンスがありました。できるだけ早い段階で治療を開始することが、問題の改善に役立つのです。
イラクで彼がどんな体験をしたのか。それはまだ明らかになっていません。今となっては、それを解明するのはかなり難しいでしょう。彼が捜査官に話すとは思えませんし、同じ部隊の隊員の記憶が一部掘り起こされる程度に終わりそうです。しかし、問題の根幹はそこにあるのです。
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