友軍5人を射殺した軍曹が起訴へ

2012.5.20


 military.comによれば、2009年5月にイラクの精神病院で米兵5人を銃撃して殺害した件で米陸軍の軍曹が起訴されました。

 ジョン・ラッセル3等軍曹(Sgt. John Russell)は計画的殺人5件、加重暴行1件、殺人未遂1件で起訴されました。有罪判決なら死刑の可能性があります。銃撃事件はバグダッド近くにあるキャンプ・リバティ・ストレスセンター(the Camp Liberty Combat Stress Center)で起こりました。

 ラッセル軍曹はテキサス州シャーマン市(Sherman)の出身で47歳だとゲーリー・デンジャーフィールド中佐(Lt. Col. Gary Dangerfield)は言いました。裁判が遅れたのはラッセルが公判に耐えるかどうかを決めるプロセスのためでした。「イラクでは友軍殺しは他に例を聞きません」とデンジャーフィールド中佐は言いました。

 起訴の可能性に関する審問は2009年8月にフォート・レヴェンワース基地(Fort Leavenworth)で行われました。審問の中で提示された2つの評価は、ラッセルが精神病の特徴と慢性的なPTSDがある重度の鬱病であるとされました。2011年3月の評価は精神病の特徴を持つ鬱病は部分的に鎮静化したとしました。

 ラッセルの振る舞いが変わったのは、3度目の戦地派遣の終わり近くだったと部隊の同僚は2009年に証言しました。彼らはラッセルが2009年5月11日の犯行数日前から現実から乖離しはじめ、部隊が彼の軍歴を終わらせようとしているという妄想を持っているようだったと言いました。

 5月8日、ラッセルは部隊があったキャンプ・ストライカー基地(Camp Stryker)の戦闘ストレス・クリニックに助けを求めました。5月10日、ラッセルはリバティー基地のクリニックを紹介されました。目撃者たちは翌日、ラッセルが彼が負傷することについて泣きながら話すのを見たといいました。彼はリバティ基地のクリニックに戻り、そこで医師にラッセルは自助努力をしなければ、自分を傷つけることになると言われました。ラッセルは自分や他人を傷つけないように監禁してもらうために憲兵に投降しようとしました。ラッセルはクリニックを去ると、ライフル銃を自分の部隊の司令部から取ってきて、発砲を始めました。銃撃でチャールズ・スプリングル海軍中佐(Navy Cmdr. Charles Springle)と陸軍のマイケル・エドワード・イェーツ・Jr上等兵(Pfc. Michael Edward Yates Jr.)、マシュー・ハウジル医師(Dr. Matthew Houseal)、クリスチャン・E・ブエノ・ガルドス3等軍曹(Sgt. Christian E. Bueno-Galdos)、ジェイコブ・D・バートン技術兵(Spc. Jacob D. Barton)が死亡しました。

 ラッセルは第54工兵大隊第370工兵中隊と共にイラクに派遣され、イラクでは第54工兵旅団に配属されました。


 イラクで友軍殺しは確かに記憶がありません。まして、精神病が原因ならなおさらです。そういう事件はアフガニスタン戦が本格化してから起きたと記憶します。

 2010年に囚人のタリバン兵を殺害したデビッド・ローレンス上等兵、除隊後の2012年にホームレス4人を殺害したイツコアトル・オカンポの事件は強烈でしたが、それよりも前に類似した事件が起きていたことになります。2009〜2010年は兵士の精神衛生上の転回点だったのかも知れません。

 対テロ戦に大規模な兵が動員されたのは2003年です。6〜7年という期間は、兵士たちに殺人事件を起こすほどの重度の精神病がみられるようになるものとして記憶しておくべきかも知れません。現在、米軍は一部の部隊を除いては9ヶ月の戦地派遣と2年間の帰国を繰り返す派遣パターンに戻しましたが、一時は派遣期間は1年半くらいにまで延長されていました。大体、6〜7年で2〜3回の戦地派遣を経験することになり、大体、これくらいが兵士の精神的な限界だと把握しておくことができます。

 ラッセルは明らかに正常な判断ができない状態で事件を起こしました。しかし、クリニックに行くなど、正常な判断も行っています。まったく善悪の区別がつかない状態ではなく、その辺は慎重に判断されることになります。死刑になる可能性は低いでしょうが、無罪にもならないでしょう。



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