アブドの犯行状況が明らかに

2012.5.24


 military.comがナセル・ジェイソン・アブド上等兵(Pfc. Naser Jason Abdo)の爆破未遂事件の続報を報じました。

 監視カメラの映像とレシートによると、アブド上等兵はケンタッキー州のフォート・キャンベル基地(Fort Campbell)から無許可離隊をして、7月26日の早朝にダラス地区の店で圧力釜、時計、電線、その他の爆弾を作る部品を買いました。アブド上等兵はキリーン市(Killeen)までタクシーに400ドルを支払い、午前3時30分にモーテルに到着したと、運転手は証言しました。

 密告で警察が27日にモーテルでアブドを逮捕した後、彼らは部屋と彼のバックパックから材料を見つけたと言います。彼は爆弾を完成させる数時間前に阻止され、大量殺人を試みたことを示したと検察官は言いました。

 弁護士のザック・ボイド(Zach Boy)は、爆弾はそもそも作られておらず、政府はその事実を避けて通れないと反論しました。無許可離隊した後、アブドはインターネットで売り手と会ったあとでナッシュビル(Nashville)で銃を買いました。彼は2週間メンフィス(Memphis)に滞在し、追跡されないようにモーテルの部屋、食糧、タクシーとバスの料金を現金やギフトカードで支払い、他人の身分証を使いました。

 FBI特別捜査官、C・マイケル・オーエンズ(C. Michael Owens)は、無許可離隊をしたあと、出国するか、何年も前に彼の父を助けた男のところに身を寄せるためにエジンバーグ市(Edinburg)に行こうとしたとアブドが行ったと証言しました。しかし、ダラスの運転手が彼をテキサス南部に連れて行くことができなかったので、アブドは地図を見て、2009年のフォート・フッド基地での乱射事件からキリーン市に気がついたとアブドが言ったとオーエンズ捜査官は言いました。「彼は兄弟のニダル(乱射事件の犯人Maj. Nidal Hasanのこと)に誓いたかったのだと言いました。『人々は彼が狂っていると言いますが、彼は正気です。私は人々に思い出させるためにここへ来ました』と言いました」。正門の警備をすり抜けられると思えなかったので、アブドはフォート・フッド基地の中を攻撃する計画はなかったと言いました。しかし、地域に溶け込む必要があったので、アブドは軍服を地元に店で買ったと言いました。

 キリーン警察は26日に銃砲店の店員が若い男が無煙火薬2.7kg、散弾、セミオートマチック拳銃の本を買ったと報告した後で捜査を開始し、一方で男は買った物についてほとんど知識がなかったように見えたと、銃砲店の経営者は証言しました。警察は彼が陸軍の軍服と別の店で「スミス(Smith)」の名札を買ったことを知りました。監視カメラの映像はアブドが買ったばかりの軍服を着て店を出たことを示しました。

 アブドが無許可離隊した後で別の事件が当局の懸念となりました。7月4日、フォート・キャンベル基地近くのオークグローブ(Oak Grove)の警察はシャベル、2個の大きな漂白剤の容器、死体袋、デジタルカメラがトラックストップの外のゴミ箱から見つかったと報告しました。ビクター・リンチ巡査部長(Sgt. Victor Lynch)は、アブドの車がレストランの近くで見つかり、トラックストップの従業員が彼がそれらを捨てた後で行くのを見たと報告しました。リンチ巡査部長は、牛追い棒、手錠の箱3個、ゴミ袋、大きな遺体袋を運ぶ道具を車の中で見つけましたが、彼は見当たりませんでした。

 オーエンズ捜査官は、アブドがフォート・キャンベル基地の兵士をドライブに誘い、彼を殺して、米軍によって不当な扱いを受けた人々の名前を読み上げながらそれをビデオ撮影する計画だったと述べたと言いました。その中には2006年に家族と共に殺される前に強姦された14歳のイラク人少女、アビーア・カシム・アル・ヤナビ(Abeer Qassim al-Janabi)を含みます。


 アブドの行動は確かに変ですし、自白もあるようです。これでは犯行を否定しようがないようにも思われます。弁護人は爆弾を組み立てた事実がないと主張しているようです。それが正しいとしても、彼の行動全体は何からの犯行を行おうとしていたとしか思えません。

 アビーア・カシム・アル・ヤナビはスティーブン・デール・グリーン(Steven Dale Green)が主犯で行われた事件の被害者の名前です。当サイトにはこの事件に関する記事がいくつもあります。

 まだ事件に関する情報が出てくるはずです。もう少し情報が出てから、事件全体を考えてみたいと思います。



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