亡命したシリア軍将官はアサドの側近の息子か

2012.7.7


 military.comによれば、マナフ・トラス准将(Brig. Gen. Manaf Tlass)がシリアから亡命したことをヒラリー・ロダム・クリントン国務長官(State Hillary Rodham Clinton)が明らかにしました。

 精鋭共和国防衛隊のメンバーで、元国防大臣の息子であるトラス准将の離反は、アサド政権上流層で最初の大きな亀裂です。フランスのローラン・ファビウス外務大臣(Foreign Minister Laurent Fabius)は、トラスがフランスに向かっていると発表しましたが、後で最終的な目的地に確信がないとして取り消しました。長くその座にいたムスタファ・トラス国防大臣(Mustafa Tlass)の息子として、将軍はシリア人バース党の上流階級、アサド王朝下で栄えた特権階級の一員でした。彼はシリアのアラウィー派が支配する政権で最も重要な人物の一人でした。トラスの父とアサドの父、ハーフェツ(Hafez)はホムスにあるシリアの士官学校以来の親友で、エジプトとシリアが3年間続いたアラブ連合共和国になった1950年代後期にカイロに配属された後で一層親しくなりました。ハーフェツ・アサドが1970年代初期に権力の座に就いた時、ムスタファ・トラスは国防大臣になり、シリアの大統領の最も信頼された副官となりました。ハーフェツが2000年に心臓発作で死んだ後、トラスはバッシャール・アサドが継承することを助け、経験の浅い若い医師を導きました。トラスはシリア政権の自由化運動を阻害したと批判される旧政権の人物の仲間の指導者でした。


 トラス准将は亡命した砲兵指揮官の将官とは別人物のようです。すると、少なくとも2人の将官がシリアを出国したということです。

 トラスの家族が反乱が起きてからフランスにいるということからも、アサドの側近が完全に離反したことは疑いがありません。ここまで来るとアサド大統領は部下が信頼できなくなり、指示も滅茶苦茶になります。先日のトルコ軍機撃墜もそうした混乱の中で起きたと考えられます。アメリカなどもアサド退陣へ向けて活動を活発化させますから、いよいよ政権転覆への動きは早まることになります。



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