米リビア大使が暴動で殺害

2012.9.14


 military.comによると、リビアのベンガジで5時間近く米領時間を攻撃し、クリス・スティーブンズ大使(Ambassador Chris Stevens)と大使館職員3人を殺害した過激派は、反米デモを装ったと米当局者は言いました。

 攻撃の混沌の中でスティーブンズ大使は領事館本館の炎と煙の中で警備隊員とはぐれたと、オバマ政権高官は言いました。ベンガジ空港でアメリカの管理下に戻る前、彼は病院へ運ばれました。現段階では誰が大使を病院へ運んだかや、彼の死因は分かっていません。「率直に言って、我々は状況がはっきり分かっていません」と匿名の当局者は言いました。「我々はベンガジ空港で彼の遺体が返還されるまで、彼に会うことができませんでした」。

 米当局はこれが9/11の記念日に合わせた攻撃だったかどうかを調査しています。下院諜報員会議長のマイク・ロジャース(Mike Rogers)は、攻撃が「計画され、調整され、巧みに実行された軍隊スタイルの事件」だったと言いました、

 アンサル・アル・シャリア旅団(the Ansar al-Shariah Brigade)を含めたリビアの複数の過激派グループが攻撃を批判しました。しかし、アンサル・アル・シャリア旅団は「単体では参加しませんでした」という曖昧な生命を出しました。

 攻撃は現地時間の午後10時頃に、本館といくつかの建物、少し離れた別館を含む領事館の敷地ではじまりました。25から30人の人員がいました。スティーブンズ大使と職員のショーン・スミス(Foreign Service Officer Sean Smith)は定期的な訪問で本館にいました。海兵隊の警護や領事館に配置された軍の要員すらなく、主に施設の外にいるリビア軍に頼っていました。

 15分後、領事館はRPGと手投げの火炎弾により炎上しました。スティーブンズとスミスが互いを見失う前に、アメリカの警護隊はほかの職員を別館に避難させ始めました。警備員はクリスとショーンを救助するために建物の中に何とかして入ろうとしました。スミスの遺体は見つかりましたが、スティーブンズの死体は見つけられませんでした。職員はリビア人護衛の支援を受け、再び建物を取り戻そうとしました。午前2時30分頃までに、彼らは別館に追い返され、そこで包囲されました。その間、アメリカ人2人が殺され、3人が負傷しました。デモ参加者はその後、領事館を破壊して略奪を行い、洗濯機すら持ち去りました。4人の犠牲者の死体はトリポリへ運ばれ、米軍機でドイツに空輸されました。

 スティーブンズ大使は1979年以降にテロリストに殺された最初の大使でした。彼は公務中に暴力で死亡した6人目の米大使です。ほかに2人が航空機の墜落で死亡しています。

 military.comによれば、死亡した大使館職員の一人は、民間警備会社に雇われた元海軍シールズ隊員、グレン・ドーアティ(Glen Doherty)でした。国務省は彼の姉がこの事実を公表しました。


 記事は一部を紹介しました。

 アメリカがテログループの仕業だと言いたくなるのは理解できますが、現段階ではどんなグループが参加していたのかは分かりませんし、過剰に興奮したテロ参加者が武器を持ちだした可能性は否定できません。小銃やRPGが使われていたことは根拠としては希薄です。エジプトには軍経験者がたくさんいますから、彼らがうまく行動したとしてもおかしくありません。また、大使がいた場所を知っていたという見方も、デモ参加者が偶然にやったことがそのように見えただけかも知れません。スティーブンズ大使の死体はあとで消防隊が見つけた可能性の方が高いと考えます。過激派がなぜ敵を病院に運ぶのでしょうか?。過激派の犯行なら、すぐに犯行声明を出さないと活動家としての意味がありません。テロ攻撃を行い、声明を出すことで政治的目的が達成されるのです。

 この記事を書いた後で、容疑者数名が逮捕されたという報道がありました。犯人の身元はまだ分かっていません。どのような結論が出るのかに注目しましょう。米当局者の話を元に、早計にテロ攻撃だという調子で報じた国内メディアの姿勢は強く非難されるべきです。こういう時こそ、じっくりと状況を見極めなくてはなりません。



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