アルジェリア人質事件の経緯
アルジェリアの人質事件については、日本人の消息が未だにすべて分からないという異常な事態が続いています。そもそも、アルジェリア政府が作戦終了を宣言した後も、まだ武装勢力はすべてが降伏しておらず、日本人を含めた外国人労働者が人質になっているようです。
BBCが事件の経過をまとめているので、参考になる部分を紹介します。
バス攻撃 1月16日05:00 (04:00 GMT) 重武装したガンマンが、イン・アメナス空港へ向かうガス田労働者を乗せたバス2台を攻撃しました。イギリス人1人とアルジェリア人1人が戦闘で死亡しました。
人質を拘束 武装勢力は車でティガントウリン(Tigantourine)にある施設に向かい、居住区とコンビナートの主要なガス施設でアルジェリア人と外国人労働者を人質に取りました。
政府軍がコンビナートを包囲 治安部隊とアルジェリア軍が人質犯を包囲しました。イギリスのデビット・キャメロンを含む西欧の指導者が、行動を起こす前に相談するよう、アルジェリアに要求しました。
政府軍の攻撃 1月17日14:00 (13:00 GMT) 武装勢力が人質の一部を施設から移動させようとしたため、アルジェリア軍が攻撃しました。報道は一部の人質が脱出したものの、他の者は殺されたと言います。
バスが攻撃を受けたのは、施設から3km離れた場所でした。バスを警護した警察官が武装勢力を寄せ付けず、バスはイン・アメナスまで行き、負傷者は治療を受けました。攻撃で、イギリス人1人とアルジェリア人1人が死亡し、イギリス人2人、ノルウェー人1人、警察官2人と警備員1人が負傷しました。
人質犯はテロリストとはいえ、ほとんど山賊レベルの連中です。そもそもの作戦が滅茶苦茶です。
評価できるのは施設から3kmの場所でバスを襲撃したことです。この距離なら、施設にいる警備員や警官に察知されずに襲撃を実行し、逃走できます。
確実に人質を確保して逃げるのが、彼らの作戦だったはずです。ところが、20〜30人もいたはずの武装勢力は、人数は不明ですが、バスに同行していた警官と警備員の反撃を受けます。さらに道路封鎖が不十分だったのか、突破されて、バスの離脱を許してしまいます。
誘拐に失敗すると、わざわざ3km移動してガス田施設に入り、そこで籠城しました。まったく計画性を感じさせない話です。襲撃に失敗したのなら、あとは逃げるしかありません。それをしなかったのは、付近にはアルジェリア軍がさほどいないと踏んだためとしか思えません。しかも、脱出した人質たちの話では、犯人たちが認していない外国人労働者もいて、彼らは隠れていたようです。人質はごく一部であり、安否が確認されていないから人質になっていると判断された人たちもいると考えられます。
籠城というのは、作戦としてはまったく不利です。時間が経つほど、周囲は集結した軍隊にかためられてしまいます。
さらに、人質を連れて脱出しようとして、アルジェリア軍の攻撃を受けています。やっていることが、およそ無茶です。救出作戦の経緯は、さらに確認される必要があります。作戦が開始されたのが、本当に武装勢力が逃げようとしたためなのかどうかも確認される必要があります。人質が自力で逃げ出したので、武装勢力が脱出をはじめたという私の推測が当たっているのかどうかも、確認したいところです。
日本のマスコミの多くが、早期にアルジェリア軍が攻撃を行ったことを、威信の失墜を恐れたという論調ですが、現場の成り行きの結果だった可能性の方が高いと、私は考えています。紋切り型の解釈は信じられません。
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