アサド大統領の妻と子供が公の場に登場
alarabiya.netによれば、シリアの反政府派は、ここ数ヶ月で、さらに自治領を増やし、北部と東部で広い帯状の地域を支配しています。
日曜日に反政府派はホムスの郊外にあるダーバ(Dhab'a)の警察の陣地を支配し、空港も包囲しました。アレッポでは、数日間の激戦の後、カーン・トーマーン村(Khan Toman)の武器庫数カ所を占拠しました。ゴラン高原に近いハーラン平野(Hauran Plain)では、反政府派は日曜日に政府軍の情報施設を占領しました。ゴラン高原は、ここ数週間に、反政府派がヨルダンからダマスカス郊外につながる国境線から伸びる農村の平野に点在する政府軍と情報部の施設に対する攻撃を再び激化させてから不安定になりました。
反政府派の地域では政府機関は崩壊し、地域社会をわずかな電気としばしば水道水なしで自活する状況に置きました。暫定政権の支持者は、ラッカ(Raqqa)とアレッポ(Aleppo)の一部を含めた反政府派の領域で治安を回復させられたと言います。別の者は、そうした動きは時期尚早で、反政府派の政府はシリアを分裂させると言います。
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イスラム主義武装勢力が、暫定政権の権威を認めないという懸念もあります。シリア国家評議会の高官の多くは亡命中で、シリア国内での権威を主張することを難しくするかも知れません。意見の相違と遅れの後で、イスタンブール会議は月曜日に始まります。首相選挙は火曜日までに完了することになっています。候補者の多くはテクノクラートです。
alarabiya.netによれば、アサド大統領の妻、アズマ・アル・アサド(Asma al-Assad)、3人の子供といとこが、ダマスカス・オペラハウス(the Damascus Opera House・kmzファイルはこちら)で、内戦で死んだ兵士の母親のためのチャリティに参加したと、日曜日に大統領官房のフェイスブックは言いました。
このイベントの目的は、工芸品を売って、反政府派との戦闘で殺された政府軍兵士の母親のために資金を集めることでした。
昨年6月にロシアは、国内の暴力の激化を避けるために疎開したというインターネット上の噂を否定しました。シリア国外居住者とアラブ首長国連邦の人権活動家によると、1月に、アサド大統領の母親、アニーサ・マクロフ(Anisa Makhluf)は、娘のブーシャ(Bushra)と一緒になるために、シリアからドバイへ向かったと報じられました。ブーシャの夫、政府軍の副参謀長アセフ・シャウカット将軍(General Assef Shawkat)は2012年7月18日に、ダマスカスの国家安全保障本部の爆弾事件で死んだ高官3人の1人でした。続く9月、首長国のシリア人住人は、ブーシャが5人の子供を引っ越したドバイの私立学校に入学させたと言いました。
戦況の進展と反政府派の弱点については省略します。
アズマと子供がダマスカスにいることが確認されたことは、アサド大統領が退く気がないことを示す重要な証拠であるように思われます。
会場の位置が重要です。これはダマスカス中心部にある環状通りの中心部に近い位置にあります。kmzファイルで位置を確認してみてください。この辺もすでに完全に安全な場所ではなくなっているはずですが、まだしも警備が可能なのでしょう。大統領宮殿からは2.3km程度の距離にあります。今年1月に、大統領自身が演説に出てきたのもここでした(関連記事はこちら)。宮殿からオペラハウスまでは広い道があるものの、円形交差点を通らないと到着できないので、同じコースを通ることになり、狙われる可能性があります。ひょっとしたら、宮殿から地下道が通じているのではないかと疑ってしまいます。異様に厳重なシリア軍基地の配置を見ていると、ついそんなことを考えてしまいます。アズマ夫人がどのようにして会場まで来たのかについて、知りたいと思います。
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