北朝鮮がボストン爆弾事件への関与を否定
時事通信によれば、朝鮮中央通信は20日、ボストン爆弾テロ事件に北朝鮮が関与した可能性を指摘した米メディアの報道について、「捏造記事」と反発する論評を伝えました。
論評は「米国で発生したテロ行為の犯人として罵倒したことは敵対勢力の不純なたくらみだ」と批判しました。また、論評は「米国の保守勢力はわれわれに『テロ分子』のレッテルを貼り、『テロ支援国』リストに再び載せ、イラクやアフガニスタンのような戦争の目標にしている」と主張。自らを「堂々たる核保有国」と位置付け、「米国を打撃する必要があるなら卑劣なテロに頼らない」と強調しました。
いまさら、北朝鮮の主張に耳を傾ける意味はありません。誰も北朝鮮が今回のテロ事件に関係しているとは思っていませんし、事件の内容は北朝鮮の手口とはまったく違っています。
堂々たる核保有国という主張は、今回の危機演出で根拠希薄なものになりました。ムスダンは発射できる状態ではなく、張りぼてに過ぎないという見解は、各国の情報機関の中で高まったはずです。発射できるものなら、ミサイルを発射しないことには、何の影響も与えられないからです。キューバ危機と、今回のいざこざは、性質がまるで違います。
国家が行う軍事行動と個人が行うテロ攻撃の違いを、今回の事件から学ぶべきです。今回の事件で、犯人は声明らしいものを出していません。政治テロだったのか、単なる社会への不満が動機かも明確ではありません。国家が行う場合、何のための攻撃かが分かるような形になるものです。
第一、北朝鮮は危機を演出しながら、偶発的な交戦を極度に恐れていた形跡があり、第一線部隊へは挑発を禁じる命令が出ていたと報じられています。核保有国であることを印象づけたいのに、圧力釜爆弾では、迫力がなさ過ぎるというものです。
朝鮮中央通信から、この声明が出たのは、間違っても、本物のテロ攻撃をしたと思われたくないという、北朝鮮の意図の表れです。
今回の爆弾事件で、私は改めて、国際社会の格差問題を実感しました。ボストン爆弾事件程度の被害規模の事件は、シリアでは珍しくありません。それなのに、アメリカ国内で起きると大きく報道され、大問題だとされます。シリア人の人権がアメリカ人よりも軽いわけではないのに、実質的に、そのような反応が当たり前のように示されています。ここに、国際社会の格差を考えないわけにはいきません。それこそが戦争が起きる原因だからです。
また、ボストン警察の危機管理にも疑問を感じました。犯人逮捕の経緯は、攻撃して逮捕したと、説得して逮捕したの二通りが報じられています。一方で、現場にいたテレビカメラのマイクは発砲音のようなものを捉えていますが、犯人が逃げ込んだ家の人は、犯人を目撃したときに、すでに血まみれだったと言っています。
最初に犯人の1人が射殺された時、もう1人も負傷していたようなのですが、それは事前に告知されませんでした。むしろ、無傷で、武器を持って逃走中のように報じられていました。負傷した事実を警察がつかんでいたかどうかは分かりませんが、分かっているのなら、それも合わせて発表しないと、住民が犯人を目撃しても気がつかない危険性があったのではないかと、私は考えます。最初の逮捕の経緯も、あまり情報が流されず、最初はテロ事件との関与すら明確にされませんでした。賢明な捜査活動が行われたという印象は、現段階ではありません。もう少し時間が経つと、逮捕にいたるプロセスが詳しく報じられます。それらを見た上で、もう一度評価してみたいと思っています。
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