また靖国参拝で無用な騒動

2013.4.26


 産経新聞によると、安倍晋三首相は24日の参院予算委員会で、閣僚らの靖国神社参拝に中国や韓国が反発していることに関し「国のため尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由は確保している。当然だ」と述べました。民主党の徳永エリ氏の質問に答えたものです。

 徳永氏が「中国と韓国が不快感を示していることにどう対応するか」と質問すると、首相は「英霊の冥福を祈ることへの批判に痛痒(つうよう)を感じず、批判されて『それはおかしい』と思う方がおかしい」と反論しました。さらに「あくまでも国益を守る。私たちの歴史や伝統の上に立って私たちの誇りを守っていくことも私の仕事だ。『どんどんどんどん削っていけば(中国や韓国との)関係がうまくいく』という考え方が間違っている」と続けました。

 産経新聞の別の記事によると、自民党の高市早苗政調会長は24日、都内で講演し、閣僚の靖国神社参拝に反発している中国、韓国の両国を批判した。「外交問題になること自体がおかしい。例えば植民地政策や開戦時の国家意志が良かったのか、悪かったのかとなると、フランス、アメリカ、イギリス、オランダはどうだったのか」と述べました。高市氏はまた、「(米国の)アーリントン墓地に日本の閣僚が行ったら花を捧げる。では、ベトナム戦争が正しかったのか。東京大空襲は明らかな陸戦法規違反だが、あれが良かったのか悪かったのか。そんなことで慰霊のあり方が変わってはいけない」と指摘しました。


 靖国参拝問題は、何度も繰り返されている問題ですが、自民党議員の考え方がよく分かる点で興味深い記事でもあります。

 私は徳永エリ氏の質問は中継をほんのちょっと聞いただけなので、全体像は知りません。

 しかし、安倍総理の発言には非常にまずい部分が含まれていたと思います。中国と韓国は正式な外交ルートで抗議を伝えてきたと報じられています。それを「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」と「脅し」と決めつけたのは、外交ルートの存在価値をまったく無視しており、総理の発言として極めて不適切です。

 安倍総理、高市早苗政調会長は、外国が内政問題に首を突っ込むのは内政干渉だと言いたいのでしょう。しかし、戦争という外国との武力紛争に関連する事柄を、すべて内政干渉と切り捨てることはできません。特に、戦争には「殺人」と「破壊」という重大な加害行為がつきものです。 「英霊の冥福を祈る」という安倍総理の言葉からは、日本の憲兵隊が反日運動家を捕らえ、水を大量に飲ませてから腹を踏んづけて吐き出させるような、凄まじい拷問を行っていた事実が綺麗に消し去られています。戦争には陰惨な行為がつきものなのです。

 高市氏はアーリントン墓地の事例を持ち出しますが、そもそもこれも認識違いです。墓地と神社は別物です。遺体を埋葬するのが墓地。御霊を祀るのが神社です。墓地だから献花もするわけで、日本神道を信じない人たちに参拝しろというのは無理な話で、そもそも、日本人はそういう施設を造っていません。

 私の祖父は陸軍の兵士として中国戦線に出征し、太平洋戦争中に戦病死しています。よって、靖国神社に奉られています。

 だから、靖国神社に参拝したいとは、私は思いません。過去の経緯を考えれば考えるほど、靖国神社には行くべきではないと考えるのです。これは軍事問題を深く追求するにつれて深まった思いであり、実は、私も若い頃は中韓からの批判を不快に思っていた一人でした。軍事問題を研究するようになると、戦争という現象そのものへの探究心が強まり、参拝といった、いわば銃後の祭事に関する興味は優先順位がどんどん低くなっていってしまうのです。いくら祈ったところで、戦争で死んだ人たちは還ってこないのであり、そうなる前に打てる手立てを考えるのが、我々の責務という考え方が自然に身についたと言えます。よって、私は靖国神社参拝問題のような騒動を「銃後の狂騒」と呼んで、無視してかかることにしています。

 また、靖国神社は宗教施設であり、戦没者追悼のための施設とは微妙に存在意義が違うという問題もあります。宗教が違う人が参拝できない施設である点で、普遍的な戦没者追悼施設とはなり得ないという問題があるのです。靖国神社は、日本が行った戦争に起因して死亡したと認定された人たちだけを奉っています。そう認定されると民間人でも奉られるし、単に戦時中に病死しただけでは奉られません。こういう区別は現代では理解できないものになっていると、私は考えます。無宗教の戦没者慰霊施設があれば、私は献花に訪れたいと考えています。


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