クサイル占領の詳細とオーストリア軍の撤退
military.comが、クサイル攻勢について詳細を報じました。
政府軍が5月19日にクサイル攻勢をはじめてから、多勢無勢の中、反政府軍は数週間の間を持ちこたえました。彼らは戦いに参加したヒズボラに予想以上の犠牲を負わせました。
しかし、反政府軍は弾薬が切れ、夜間の重砲撃の後で最終的に撤退しました。水曜日、戦いは反政府軍が撤退した街の北端で続いていました。
砲撃の中、街の医師は包囲で避難できずにいた約300人の重傷者を避難させました。車列は彼らを近くのアル・ブエイダ村(al-Buweida)に移送したと、この活動を助けたカゼム・アルゼイン医師(Dr. Kazem Alzein)はSkypeを通じて言いました。「私たちはそうしなければなりませんでした。彼らは近隣を破壊していました」。
住民の多くは、レバノンのスンニ派の国境町アーサル(Arsal)に逃げました。「ダバア(Dabaa)とクサイルには一発も砲弾があたらなかった家はありません。村も完全に破壊されました」と報復を恐れ、ニックネームだけ言った男性は言いました。彼は火曜日にレバノンまで35kmを歩いたと言いました。
BBCによれば、シリア軍は国連が監視していない、反政府軍が占領していたゴラン高原の国境を支配したと、イスラエル軍筋は言いました。
イスラエル占領地域の近くのクナイトラ(Quneitra・kmzファイルはこちら)の戦闘で、戦車と装甲車が使われました。オーストラリアは、戦闘のためにゴラン高原から平和維持軍を引き揚げると言いました。この発表はヒズボラに支援されたシリア軍がクサイルを奪還した一日後に行われました。
反政府派は木曜日早くにクナイトラを占領しました。しかし、イスラエル軍筋は、シリア軍が数時間後に象徴的に重要な陣地を奪還し。現在この地域は比較的静かだと言いました。
平和維持軍兵士2人が国境とクナイトラ周辺の闘いで負傷しました。オーストリアは、脅威が受け入れがたいレベルに達したため、兵士を撤退させると言いました。オーストリア軍は、中立地帯とクナイトラ(シリアとイスラエルが支配するゴラン高原を結ぶ唯一の開かれた国境)を監視する兵数900人以上の国連軍の3分の1を占めます。イスラエルはオーストリアの決定に遺憾を表明し、これでこの地域がさらにエスカレーションしないよう望むと言いました。国連はオーストリアの撤退は任務の遂行能力に影響を与え、代替国を探すと言いました。クロアチア、カナダ、日本はすでに派遣部隊を撤退させました。
イスラエル軍は、反政府派側のイスラム過激派やシリア軍を支援するヒズボラが、ゴラン高原をイスラエルに対する攻撃開始地点として使うことを恐れています。
記事は一部を紹介しました。
昨日の記事にも、街は瓦礫の山と化したと書かれており、破壊の程度のひどさが分かります。隠れる場所が沢山ある市街地では、このように建物を完全に破壊するかのような軍事作戦が起こる場合があるのです。
事前の砲撃で防御拠点を破壊し、防御側が使える防御拠点を破壊してから突撃するのが軍事の基本です。それが民間人の居住地に対して行われると、こうした酷い被害がでるのです。
街は完全に包囲されていたのではないと思われます。アーサルはクサイルの南西に位置し、距離もかなりあります。こちらへ抜ける道路に対して、政府軍は照準を合わせていなかった可能性があります。国連や赤十字が再参警告した結果かも知れません。当初、反政府派が虐殺が起きると警告したのとは、大きく違うですが、反政府派が声をあげたので、国際機関が動き、シリア政府が配慮した可能性があります。
内戦であっても、民間人に逃げ場が皆無になるような軍事作戦は禁止されています。当事者は民間人のために逃げ道を確保する義務があるのです。
それにしても、5万人が足止めされていたのに、1週間足らずで避難できたとは考えにくく、犠牲者の数を含め、検証が必要です。
クナイトラは1月に自動車爆弾でシリア軍の情報部が被害を受けた場所です。(過去の記事はこちら)
平和維持軍については、中東諸国から出せないかと思いますが、彼らはアサド退陣を主張しているので、シリアが反発するかも知れません。オーストリア軍が撤退しても、イスラエルが自制した行動をとれば、急速に情勢が悪化することはありません。シリアが陰謀を企てても、いまなら引っかかる国はないでしょう。
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