『はだしのゲン』の閉架措置は再考へ
松江市で『はだしのゲン』を閲覧制限にした件について時事通信が報じました。
記事によると、平成12年8月に「はだしのゲンは間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書館からの撤去を求める市民からの陳情が市議会にありましたが、市議会は同年12月に全会一致で陳情を不採択としていました。
市教委は、作中にある女性への暴行場面や人の首を切る描写を問題視。同月中に市内の全小中学校に対し、作品を図書館の倉庫などにしまい、子どもから要望がない限りは自由に閲覧できない「閉架」措置とするよう要請しました。要請は市の教育委員会会議で議論されずに、市教委の独断で2度にわたり行われていました。また、議会が陳情を不採択としたことや、市内外から反発の声が多数寄せられていることを受け、「今後は撤回も視野に、委員会会議の意見を聴いて再度検討したい」と話しました。清水教育長は、「遅くとも月内に一定の結論を示したい」としています。
市議会が理性的な判断をしていた点は希望ですね。18日に書いたように、「間違った歴史認識を植え付ける」という理由で閲覧制限にすることはできません。戦争に対する見解は様々であり、それを自由に披瀝できるのが民主主義国であるからです。同じ考え方を松江市議会がしていたと聞いて、ほっとしました。
また、閉架措置も、子供から要望があれば読める形であったことで、市教委はギリギリ名誉を守ったといえます。もっとも、本棚になくても、希望すれば読めることが、図書館内で公然と告知されていたかは不明です。告知していないのなら、市教委に本を貸し出す気はなかったということです。
「女性への暴行場面や人の首を切る描写」だけを問題視して閉架措置にしたのなら、それは批判されるべきです。この劇画は全体的に暴力シーンが多すぎます。主人公も暴力をふるうし、周囲の人たちも同様です。子供の登場人物がやたらとイタズラをする点も問題です。それら全体を問題視していないのなら、教育委員会としての任務を放棄したとしか言えません。
しかし、『はだしのゲン』は、こうした問題を含みながらも、これらの暴力描写がなければ、作品の価値は半減したろうと思える作品です。強烈な反骨精神や生への執着を描くためには、過度な暴力シーンも必要だったのです。劇作には常にこういう矛盾する問題がつきまといます。そこに、この問題の難しさがあります。この事件では、単純に「表現の自由」の観点からしか考えない論者があまりにも多いのに驚かされました。私は、問題点を認めながらも、なにより原子爆弾の恐怖を描いた点で、『はだしのゲン』は評価できると考えます。子供たちにとって、この作品を読むことは、恐ろしい体験かも知れませんが、それをきかっけに原爆について考えて欲しいと考えます。
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