バグダッディ側近が空爆で死亡か

2014.11.11


 telegraph.co.ukによれば、イスラム国指導者アブ・バクル・アル・バグダッディ(Abu Bakr al-Baghdadi)の側近、アウフ・アブドラーマン・エレフェリィ(Auf Abdulrahman Elefery)が米主導の空爆で死亡しました。

 暗号名アブ・スジャ(Abu Suja)で通っている側近のエレフェリィは、航空機が金曜日の夜にモスル(Mosul)近くでイスラム国の車列を攻撃した時に死亡しました。空爆は彼と他のイスラム国メンバーを殺しました。

 バグダッディの生死に関しては対照的な報告があり、イスラム国のメンバーはツィッターに彼は車列の中にいなかったと書き、他の消息筋は彼は死亡したか重傷を負ったと主張しています。

 イギリス軍の参謀長、ニコラス・ホートン大将(General Nicholas Houghton)は「私はバグダッディが殺されたかをまったく確認できません」と言いました。「多分、間違いなく確認するには数日かかります」。

 イラク人の安全保障戦略家、ヒシャム・アル・ハシミ(Hisham al-Hashimi)は、バグダッディの非常に近い仲間のアブ・スジャは少なくとも10台の車両を破壊した空爆で殺されたと認めました。彼(アブ・スジャ)とバグダッディは滅多に別々に行動しませんでした。それは(攻撃時に)バグダッディが彼と共にいた可能性がある理由です」。ハシミは日曜日にモスルのアブ・スジャの親族に電話をかけ、親族は彼の死を認めたと言いました。

 一部のアラブ系メディアはバグダッディがアンバル州(Anbar)カイム(Qaim)の家を攻撃した爆撃で重傷を負ったと、この地域の部族長のコメントを紹介しました。

 米中央軍司令部広報官、パトリック・ライダー(Patrick Ryder)は、同盟の航空機がモスル近くでイスラム国指導者の会合を攻撃したと言いましたが、バグダッディがそこにいたかは確認できないと言いました。

 ハシミ氏は、アブ・スジャは攻撃で死んだと確認された者の中で最も高官だったと言いました。「空爆で他20人の人たちが死にましたが、組織内で高官ではありません」。しかし、彼はイスラム国のメンバーがこの種の車列で移動していたことは通常と違う何かを示すと指摘しました。「彼らは車列が会合に向かう途中で攻撃されました。間違いなく、それは定期的な会合ではありませんでした。なぜなら、同盟国の航空機の危険があるのに、彼らは会議へ向けて移動していて、沢山の車で移動していたからです」

 今年早く、ハシミ氏は、イラク軍の襲撃でイスラム国高官の家から押収した書類にアクセスを許された選ばれたグループの一人でした。書類はイスラム国指導者の構造を詳細に明らかにしました。ハシミ氏が作成し、「The Telegraph」が発表した書類とイスラム国高官の家系図によると、イラクのタル・アファ(Tal Afar)出身のアブ・スジャは殉教者と女性に関する問題の全般的コーディネーターでした。「彼は社会問題当局者で、給料を払い、家族の世話をすることをまかされていました」。

 イスラム国の首都となったシリアのラッカ(Raqqa)で、イスラム国高官と接触した消息筋は、バグダッディが死んだなら、イスラム国は替わりを見つけて発表するだろうと言いました。


 記事は一部を紹介しました。

 また、話が混乱してきました。色々な真相のパターンが考えられます。

    1. エレフェリィがモスルで、バグダッディはカイムで別々に死亡。
    2. エレフェリィとバグダッディが共にモスルで死亡 。
    3. エレフェリィとバグダッディが共にカイムで死亡

 今のところ、私は1の可能性を考えています。エレフェリィとバグダッディが一緒に行動することが多いとしても、すべての幹部が1ヶ所に集まるのは危険すぎると言えますし、ハシミ氏が指摘するように、空爆の危険がありながら車列で移動したことは、何かの理由で緊急の会合が必要だったことを連想させます。この推測には、戦場となっているモスル付近からバグダッディが離れるとは考えにくいという反論も可能です。

 真相はまだ分かりません。いまは、大勢のイスラム国幹部が死傷したことしか分かっていません。

 


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