観測筋がイスラム国の勢いに陰りを指摘

2014.11.8
追加 同日 9:55


 military.comによれば、勢いと無敵のオーラを築いたイスラム国がイラクとシリアで後退と手詰まりに直面しています。

 「イスラム国はライバルたちを脅えさせ、支援と新兵を惹きつけるために、非常に効果的な心理的キャンペーンを行いました」とシンクタンク「the Atlantic Council」の特別研究員、ファイサル・アイタニ(Faysal Itani)は言いました。しかし、いまや評価を維持する必要性がグループの選択肢を狭めていると彼は言いました。

 これは特にコバネ(Kobani)で真実です。イスラム国は米主導の空爆とクルド人戦闘員の地上戦に直面して撤退し、それは非常に高くつくことが分かりました。「彼らはこの戦いに多くを投資し、人々は気づいています。彼らはすぐに何が起きているのかを尋ね始めます」と、トルコに拠点を置き、シリアのラッカ(Raqqa)を行き来しているシリア人活動家のアイド(Ayed)は言いました。

 長引いたコバネの戦いは、イスラム国を、過激派がすでに複数の戦線に引き延ばされた、シリアとイラクのより重要な地域から分散させてもいます。

 クルド人の住人はイスラム国が、街に増強された未熟な戦闘員と新兵で苦労しているように見えると言います。これらには、イスラム国が支配するラッカとマンビジ(Manbij)のような周辺都市から再配置されたイスラム国警察「ヒズバ(Hisba)」のメンバーを含みます。「多くのヒズバ隊員はラッカを過去2週間の内に去り、人々は彼らがコバネに向かったと聞かされました」とアイドは言いました。「彼らは戦闘員ではありません」。

 コバネの住人は、コバネのイスラム国を狙った最近の米軍の空爆が大きなダメージを与えたと言います。「彼らの死体は誰も取りに来ず、通り上で腐ったまま放置されました」と、コバネを拠点とする活動家、ファルハッド・シャミ(Farhad Shami)は言いました。

 一部の観測筋が弱さの表れと解釈した動きで、イスラム国は最近、コバネと特定された場所から報道していた、拘束したイギリス人写真家を映したビデオを公開しました。ビデオの中で、彼はコバネの戦いは終わりに来ており、イスラム国は締めくくりをしていると言いました。

 しかし、シリア人とクルド人の活動家と観測筋によれば、7週間の激戦と両者側からの増援にも関わらず、コバネ周辺の戦闘陣地は数週間前とほとんど同じままで、イスラム国は街の約40%を支配しています。

 イスラム国は最近、イラクのいくつかの戦線で損失を被りました。そこで、イスラム国は政府軍、ペシュ・メルガ、イランとヒズボラが支援するシーア派民兵と戦っています。

 先週、イラク軍はジゥフ・アル・シャカル(Jurf al-Sakher)を奪還しました。先月、イスラム国はシリア国境に近い列状の街、ラビア(Rabia)、マハムディヤ(Mahmoudiyah)、ズマル(Zumar)も失いました。イラク軍はベイジ(Beiji)郊外のイラク最大の精油所の支配を、イスラム国が何度も占領しようとしたにも関わらず、維持し続けています。

 イラクにおけるイスラム国の収穫逓減は、すでにスンニ派中心の地域の大半を占領したことも反映します。シーア派が住む地域を征服するのは、もっと大変でしょう。

 しかし、スンニ派地域ですら、イスラム国は反対意見と戦う必要があります。過去数日にわたり、イスラム国はスンニ派のアル・ブ・ニミア部族(Al Bu Nimr)200人以上に対し、イラク軍の側に着いたことへの報復と思われる虐殺を行いました。これはイスラム国が彼らを脅威とみていることを示します。

 イスラム国の難儀は、この夏、イラクとシリアの街を占領したのが比較的簡単だったことを思わせます。イラクで2番目の都市、モスル(Mosul)では、イラク軍はすばやく陣地と武器を放棄して逃げ去りました。イラク北部と西部のほとんどの街は、スンニ派の間の不満に加え、イスラム国の評判のために、治安部隊の広範な崩壊に直面しました。シリアでは、イスラム国は内戦の混乱を利用できました。しかし、9月中旬にコバネを攻撃する頃までに、イスラム国は複数の戦線に引き延ばされました。それでも勢いに乗って、電撃的前進によって、いくつかのクルド人の村と街の3分の1を占領しました。予想はコバネが数日間の内に陥落するとしました。しかし、イラクと違い、クルド人民兵たちにはすでに長きにわたる存在がありました。コバネのイスラム国戦闘員は外国の環境と、慣れない地形、意欲的で強力なクルド人戦闘員と戦っていることに気が付きました。「イラク軍は中央政府の信頼性に疑問を持つために戦う目的が分からない、ひどく士気喪失した軍隊でした」と、イギリスの王立統合防衛・安全保障研究所、上級研究員、シャシャンク・ジョーシ(Shashank Joshi)は言いました。一方、クルド人は本当に経験に基づいた戦いを行っていると、彼は言いました。

 イラク政府の閣僚、バヤン・ジャバル(Bayan Jabr)は、イスラム国は単に戦いすぎたのだと言いました。彼は、アル・ブ・ニミア部族を狙った大量虐殺に続いて、アンバル州でのスンニ派の反乱が起きると予測しました。「私はディエシュ(Daesh・イスラム国のアラビア語の略語)が弱まり始めていると思います」と言いました。

 BBCによれば、ホワイトハウスはイスラム国と戦うイラク軍を訓練するために、さらに非戦闘員の兵士1,500人をイラクに派遣すると言いました。


 記事は一部を紹介しました。

 イスラム国の欠陥については、すでに当サイトでも指摘したとおりです。この記事は、それとほぼ同じ指摘をしています。

  • イスラム国の斬首ビデオ、捕虜や住人の虐殺は心理的キャンペーンに過ぎず、彼らの実力を反映しない
  • イスラム国が強いのではなく、イラク軍は弱すぎて負けた
  • イスラム国は高い戦力を持つ敵には勝てない
  • イスラム国は空軍力を一切持たない
  • イスラム国の対空兵器は貧弱
  • イスラム国の装備の大半は旧式
  • イスラム国の歩兵は寄せ集めで、経験が乏しい
  • イスラム国装備の中心は小火器と榴弾砲、迫撃砲
  • イスラム国戦車、装甲車は捕獲品が中心
  • イスラム国は複雑な兵器の部品調達が困難

 こうしたイスラム国の特徴に加え、戦闘の基本的原則が彼らの足を引っ張ります。かつて日本陸軍の石原莞爾は「戦力は根拠地と戦場との距離の二乗に反比例する」という「攻勢終末線論」を唱えました。石原将軍は失脚して太平洋戦争では軍の指揮を執らずじまいで、戦後、東条英機の戦略を散々批判しました。

 第2次世界大戦で、ソ連軍はこれを考慮せずに突撃を繰り返し、あとでドイツ軍に失地を取り替えされるという失敗を繰り返しました。また、ドイツ軍もモスクワまで遙々遠征して、そこで負けました。ナポレオンも然りでした。

 もっと日常的な言葉で言えば、「風呂敷を拡げすぎれば失敗する」ということです。誰でも理解できる話のはずです。しかし、戦争では往々にして、こういう失敗が繰り返されるのです。イスラム国もまた然りです。

 しかし、イスラム国も失敗から学ぶはずです。コバネから撤退し、もっと現実的な勢力範囲を設定するかも知れません。コバネも、まだクルド側の兵数が足りないようで、戦線に変化は見られません。イラクへの米兵増員が決定的な戦いの準備となればよいのですが、これも不透明な状況です。イラク軍は来春の攻勢を考えているようですから、効果が出るのはその頃ということになります。

 軍事常識を知っていれば、こうした動きは予測がつきますが、特に、国内マスコミは軍事知識に乏しく、コバネの大半が占領されたという時点で、陥落との観測に傾いてしまうのです。日本国民はそのことをよく知っておくべきです。

 


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