意外に多い米軍の脱走と処罰の軽さ
military.comによれば、数万人の兵士がイラクとアフガニスタンでの激しい戦闘、長く複数にわたる戦地派遣、家族への重みに直面して軍から逃亡したのに、米陸軍は2001年に約1,900件しか起訴しませんでした。
このデータはいかに軍が脱走事件を法廷へ起訴するのが希かを示します。
2006年以降、20,000人以上の兵士が脱走したことを、陸軍のデータは示します。それより前の総計は入手できませんが、数千人以上でしょう。
過去13年間の裁判において、兵士の半分は持ち場を放棄したことを認め、別の78件は争い、脱走の有罪判決を受けました。
脱走罪は比較的証明が簡単だと、元軍弁護士グレッグ・リンケイ(Greg Rinckey)は言いますが、PTSDや家族の問題のような状況も配慮されます。「脱走兵の多くはPTSDやその他の精神病を抱えており、二度目、三度目の派遣の最中です」。
数字は兵士が、しばしば15ヶ月も派遣される戦場へ戻ると急騰します。
一部の失踪は離婚や子供の病気に関係すると、彼は言います。ある例では、兵士がアメリカ国内で脱走します。それらの多くは、軍事裁判ではなく、管理上の処分や医療除隊で処理されます。
戦地で派遣や持ち場を放棄した兵士は、特に脱走兵が歩哨や他の者を守る責任を負っていた場合はさらに深刻です。
「こういう人はとても厳しく調べられます」とリンケイは言いました。「なぜなら、指揮官にはその兵士を見ていて、『どちらにも行きたくない』と言っている他の人たちの部隊があるからです。言うまでもなく、見本を作らなければならないのです」。
戦時の脱走罪の最高刑は死刑ですが、ほとんど行われません。南北戦争以来、脱走罪で死刑に処された兵士は、エディ・ソロヴィク二等兵(Pvt. Eddie Slovik)ただ一人です。24歳のソロヴィクは1945年に銃殺隊に撃たれました。ドワイト・アイゼンハワー将軍(Gen. Dwight D. Eisenhower)が承認した処刑は陸軍によって9年間秘密にされました。
記事は一部を紹介しました。記事にはアフガンで脱走して、タリバンの捕虜になったバウ・バグダール軍曹(Sgt. Bowe Bergdahl)の事例が載っていますが、いずれ事件に結論が出た時に紹介したいので、省略します。
かなりの兵士の脱走が、実は軽い処分で落着していることを知る日本人は少ないでしょう。
憲法改正で軍事裁判(旧軍の軍法会議)を復活させたい、自民党の石破茂氏もその一人です。
彼はかつて、自衛官の命令拒否について、「その国にある最高刑がある国なら死刑。無期懲役なら無期懲役。懲役300年なら懲役300年」で応じるべきとの考えを示しました(関連記事はこちら)。
しかし米軍でも、そう重い刑罰にはしていないのが実情。それも知らずに憲法改正で、この問題が解決すると考えているのが石破茂氏です。
多分、軍事オタクの石破氏は、脱走が重罪だという古い知識で語っているのでしょう。
記事にある南北戦争では、脱走兵を追跡する者たちも登場し、厳しい追求が行われました。映画『コールド マウンテン』はそんな時代を描いた映画です。しかし、そんな時代を現代に復活させるのは無意味です。
憲法改正の可能性が高くなっている現在、この問題を多くの国民に知ってほしいのです。 今時の保守派は、大した軍事知識も持たずに、強硬な意見を述べることが多く、脱走罪についても、自民党の説明で納得してしまう危険性が高いでしょう。自衛隊が戦闘を行うようになれば、PTSD患者が増え、脱走する者も増えます。そういう時に保守派から「非国民」という声が自衛官を叩く可能性は大きいといえます。
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