BBCがオデッサ暴動の詳細を報じる
BBCがオデッサで起きた親ロシア派38人の死について詳細を報じました。
暴力の種はサッカーの試合でした。地元のチャーノモレッツ(Chernomorets)は「メタリスト・カーキフ(Metalist Kharkiv)」と試合をしていました。
両者の「ウルトラズ(ultras)」として知られる熱狂的ファンは統一ウクライナを支援するために共同行進を開催しました。グループは午後2時頃に座聖堂広場に集まりました。一部はウクライナ政府の抵抗運動、メディアン自衛軍(the Maidan Self Defence Forces)や右翼の「プラヴィ・スケトール(Pravy Sektor)」の一部でした。一部はまったくの一般市民でした。
行進をした人たちは約30%のロシア人少数派とのトラブルを考えたかも知れません。しかし、チャーノモレッツのサポーター、ナディヤ・ヤシャン(ナディヤ・ヤシャン)は「我々は決してそんな規模での待ち伏せを予期はしませんでしたし、警察はほとんどしません」と言いました。行進した者たちの敵対者たちの一部はオレンジと黒のストライプの服、いわゆるセント・ジョーンズのリボン(Ribbon of St George)、ロシアで最も知られる武勲の一つを着ていました。
ファンの行進の参加者、ボクダン(Bogdan)は「人々が歩き始め、彼らは軍のヘルメットを被り、野球のバットを持った人たちから攻撃されました。一部は銃を持っていました」と言いました。衝突はギリシャ通り(Grecheskaya Street)から始まったように見えました。目撃者のセルゲイ(Sergey)は、午後3時30分のテレビニュースで衝突があったのを知り、現場へ行ったと言いました。「接近戦や徒手格闘のようには見えませんでした。ほとんど両者が歩道のプロックを投げていました」。
他の報告は、両側の活動家の一部が十分に武装し、棍棒、金属棒、空機銃、野球バット、防護服、盾、ヘルメットで守られていたことを示します。いくつかの報告も、武装した抗議者が拳銃を撃ち、火炎瓶を投げるために、アフィナ・ショッピングセンター屋上(the Afina shopping centre)を使っていたと言います。セルゲイは、分離主義者が撤退を始める前、互角の戦いが約15分間あったと言いました。
続く数時間に渡り、衝突はバラバラになったものの、主要な進展がクリコヴォ・ポリエ(Kulikovo Polye)と呼ばれるテントの街に対する、親ロシア派のテント街に対する親ウクライナ派の大きな動きがあったようです。セルゲイは言いました。「人々が駅に向けて流れ始め、ズコヴォスコホ通り(Zhukovskoho Street)を占領し、プーシキンスカ通り(Pushkinska Street)を占領しました。
彼らは「ウクライナ万歳!」「オデッサはウクライナだ!」と叫びました。彼は親ロシア派のキャンプのテントが、彼が到着した時に燃えていて、そこにいた人たちが労働組合会館の入口へ移動したと言いました。「結局、彼らは追い込まれたのです」。彼の予想では、数千人のサッカーファンと分離主義者約300人がいました。
徒手格闘が建物の中であったものの、またしても、警察は少ししか介入しませんでした。テレビの画像と報道は、両者が火炎瓶を投げていたことを示します。親ウクライナ派は分離主義者が武装し、屋根から拳銃とライフル銃を撃ったと言いました。「Russia Today」は、防弾ベストの男が燃える建物の中の分子主義者に発砲する映像を報じました。火事が3階でどのように始まったかは不明のままです。映像は新ウクライナ派が火炎瓶を階上へ投げているのを明白に示しました。しかし、セルゲイは、彼は3階の誰かが閉じた窓で火焔瓶を投げるのを見たと言いました。しかし、ガラスは割れず、屋内で火事が起こりました。
人々は煙が充満した階から逃げるのに苦労しました。ある生存者は「我々は下に降りられず、他の階の人たちが下に落とされ、そこにいた暴徒が狼の群れのように彼らを攻撃するのを見ていました」。一部の人たちは突起につかまり、非常梯子で助けられました。一部は墜落しました。
あるアメリカ人記者は、現場を「正真正銘のリンチ」と表現し、一部の人たちは人が落ちると「死ね」と叫んだと言いました」。
ロシアのパスポートとトランス・ドニエストル地域(Trans-Dniester)の書類が建物の中で見つかったという未確認情報がありますが、犠牲者の多くはウクライナ国民だったと考えられています。
記事は一部を紹介しました。
ちょっと驚きました。4日に私は次のように書きました。
オデッサの火災に関しては、素人のなせる業としか言いようがありません。陣地内で火災を出さないことは一番重要なことです。敵対者が火を放つことも考えておかなければなりません。火事から逃げて、建物から飛び出したところをつかまり、リンチを受けることくらいは想定しないとダメなのです。
これは詳細を知っていたのではなく、当然起こり得ることという見地から書いたのですが、その通りのことが起きていたのです。
私の軍事分析は、過去の事例から、当然起きるはずのことを検討する手法です。そして、しばしば、過去に起きたことが繰り返されるのに慄然とします。世間には突拍子もない予測を公表して憚らない評論家がいますが、それは意味がないのです。
オデッサ事件は、サッカーファンの行進に対して分離主義者が攻撃し、それに報復するために統一派が暴力に走り、その結果として、分離主義者が自分で火災を出し、死者を増やしたと見るべきです。このような事態は珍しいことではありません。計算された殺人ではなく、成り行きから生じた事件であり、むしろ事故に近いといえます。
この事件により、東部での親ロシア派の動きは抑制されるかも知れません。大勢が死んだことで、独立への熱情が覚める可能性があります。ある程度の提言に留まるでしょうが、犠牲者を見た人たちは、空想の独立論のままではいられないでしょう。
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