| オマルが5対1の捕虜交換を称賛 BBCによれば、アフガニスタンのタリバンの指導者、ムラー・モハンマド・オマル(Mullah Mohammad Omar)は、タリバンが拘束した米兵とグアンタナモベイ収容所に拘束される5人との捕虜交換を祝う公式声明を出しました。   28歳のバウ・バグダール軍曹(Sgt Bowe Bergdahl)は土曜日にアフガンで米軍へ引き渡されました。拘留者を釈放する前に30日間の通告を与えられなかったという米議会の批判に対して、チャック・ヘーゲル国防大臣(Defence Secretary Chuck Hagel)は反論しました。彼はアメリカは兵士の人生を救うためにすばやく動かなければならないと言いました。									  2001年にアフガンから逃げてから、公に姿を現したり、演説をしていないムラー・オマルは、「私はアフガンのイスラム国全体に心からのおめでとうを表します」と言いました。									  交換が行われるまで通知を受けなかったアフガン政府は、交換を国際法違反と非難しました。									  状態はよいとされ、さらに治療を受けるためにドイツへ飛んだバグダール軍曹はアフガンでタリバンに拘束された唯一の米兵でした。   釈放された同僚を抱きしめるタリバン兵の写真と大勝利を叫ぶムラー・オマルのコメントは、取引を見たオバマ大統領の政敵、共和党を怒らせたようでした。国防長官は批判を退け、これは戦時捕虜の交換だったと言いました。彼は取引がより広範な和平交渉に道を開くことを臨むと言いました。									  しかし、タリバンに近い筋は、アメリカが対談の範囲を拡げようとしたために、交渉が長引いたと言います。彼らは3年前にテーブルの上にあったものの、アメリカが交渉を捕虜交換よりも先へと拡張しようとしたために、交渉は失敗しました。    釈放された5人の抑留者									 
									  モハンマド・ファズル(Mohammad Fazl) 2001年のアメリカの軍事作戦中のタリバン国防副大臣。シーア派イスラム教徒の大量殺人を含む戦争犯罪の被告人。 キルーア・カリクワ(Khirullah Khairkhwa) 内務大臣とアフガン3番目の都市ヘラートの統治者。オサマ・ビン・ラディンと直接のつながりがあったとされる。 アブドゥル・ハク・ワジク(Abdul Haq Wasiq) 情報副大臣。米軍と同盟軍と戦うイスラムグループの同名を組んだ中心人物。 ムラー・ノルーラ・ノーリ(Mullah Norullah Noori) タリバンの上級指揮官であり統治者。シーア派イスラム教徒の大量殺人に関与したとされる。 モハンマド・ナビ・オマリ(Mohammad Nabi Omari) 治安担当を含む複数のタリバン指導者を務めた。米軍と同盟軍への攻撃に関与したとされる。									  取引により、彼らは少なくとも1年間はカタールを出ることを禁じられます。 
  記事は一部を紹介しました。  捕虜交換の交渉が行われていることは以前から知られていましたが、それが実現したというわけです。これはオバマ政権のアフガン作戦の後始末の一環でしょう。最終的な撤退時期も決定し、今後は財政的支援に限定して、アフガン政府を支援していくことを決めたオバマ政権としては、捕虜になっている米兵への対処を完了させておきたかったのです。  それよりも、オマルの声明が出たことが驚きでした。私はてっきり彼が死んだと思っていました。ここで偽物の声明を出しても意味はないので、彼は生きていると考えなければなりません。正直、驚きですね。  議会への通知がなかった理由は不明ですが、何か急ぐ理由があったのかも知れませんね。  オバマ政権はグアンタナモベイ収容所の閉鎖を公約に掲げたものの、実現できずにいます。皮肉ですが、今回、タリバンの元幹部を出したので、収容者は減らせたことになります。 
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