イラク軍のラマディ短期奪還に疑問の声

2015.12.3


 military.comによれば、数ヶ月の鈍い進展、遅れた前進と明確な失敗の後、米主導の空爆に支援されたイラク軍と民兵はラマディ(Ramadi)を包囲し、イスラム国から街をもぎ取る準備ができているように見えます。

 月曜日にイラク軍は街にリーフレットを落とし、4,000から10,000人とされる住人に立ち去るよう言いました。しかし、住人はAP通信に、民兵は取り締まりを行い、市民の移動を監視し、誰も立ち去らないように街中に検問所を設けました。「モスクの拡声器が市民に立ち去ることは許可しない、そうする者は誰でも逮捕されるか殺される」と匿名を希望するある住民は言いました。

 最新の予想で、米主導の同盟国はラマディにイスラム国戦党員が約1,000人いるとされます。イラク当局は街を包囲する軍隊は数千人だと言いました。

 内務省広報官、サード・マーン(Saad Maan)はラマディの包囲は奪還のための第一歩だと言いました。彼はイラク軍は数日内、1週間以内にイスラム国の街の掃討を始めると付け加えました。「狙いはダーイシュへの補給すべてを遮断することです」と、アンバル州(Anbar)司令部指揮官アーメド・アル・ビラウィ准将(Brig. Gen. Ahmed al-Bilawi)は言いました。「我々はラマディを解放するために街中心部を攻撃するため作戦開始を待っているところです」。

 しかし、長期の包囲はイスラム国戦闘員にさらに防御を強化するのを許したと、2007〜2008年にイラクで米軍を指揮したマーク・ヘルトリング退役中将(Lt. Gen. Mark Hertling)は言いました。イラク軍指揮官はイスラム国戦闘員が弾薬を使い果たし、食糧と特に水が不足していると考えているとヘルトリング中将は言いました。しかし、それにはかなりの時間がかかります。イスラム国はそれを街を自家製爆弾で覆い、空襲を避け、地域外へ価値のある資産を動かすためにトンネルを建設するために活かすことができると、彼は言いました。西欧の軍事ドクトリンは、敵を圧力の下に置き、複数の場所で活発に攻撃し、より機動的になることで防御者の利点を奪うことに基づいていると付け加えました。それは十分な指揮、統制、訓練を必要とし、それをイラク軍は持たないとヘルトリング中将は言いました。

 統合参謀本部議長ジョセフ・ダンフォード大将(Gen. Joseph Dunford)はワシントンで、イラク軍はラマディ周辺で縄の輪を締めてきたものの、アメリカ人がやるよりもゆっくりとしたペースだったと言いました。「過去数週間にわたり進展があったのは本当ですが、それは必ずしも重要というわけではありません」とダンフォードは下院軍事委員会で証言しました。ダンフォード大将はイラク軍がモスル(Mosul)を奪還する作戦を始めるのに、恐らく今から数ヵ月間かかるだろうと言いました。

 イラク軍の準備のレベルに詳しい別の西欧同盟国当局者は、ラマディの作戦は恐らく現時点でイラク人が受け入れられない程度の大きな犠牲者を出すと言いました。

 アンバル州の攻勢が遅れたもう一つの問題はイラク軍に参加した大半の戦闘員を構成するシーア派民兵の役割がありました。シーア派民兵は政府の成功の多くで鍵となりましたが、イスラム国から奪還した地域でスンニ派に対する広範な虐待で非難されてきました。中央政府はアンバル州で政府派のスンニ派部族を武装させると言いながら、少数の武器しか受け取りませんでした。スンニ派の政治家はスンニ派に不信感を持たれている政府内のシーア派、彼らの多くはヌーリ・アル・マリキ元首相(Prime Minister Nouri al-Maliki)の下で権利を剥奪された数年間の後、イスラム国の役割を歓迎したと非難しました。

 マーン広報官は戦闘が始まるとマラディに閉じ込められる市民の人数について尋ねられると、彼らが安全な場所に逃げられると確信していると言いました。「我々は現在、敵にだけ集中しています」。


 記事は一部を紹介しました。

 やはり、こんな状況ですか。すぐに始まると考えられたラマディ攻勢でしたが、進展が遅れた理由はイラク軍の能力不足とシーア派の問題だったのです。

 7月にファルージャへ侵攻し、その後、8月に入っても準備中との報道が続き、9月初旬には外国軍の空爆が足りないとの批判がイラク軍から出て、米軍幹部が否定する騒ぎが起こりました。自分の努力不足は棚に上げてです。

 まあ、こんなのはいつものことで、イラク軍には珍しくもないのですが。

 


Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.