トルコ軍が霊廟の護衛を救出しにシリアへ侵入
alarabiya.netによれば、トルコ軍がシリア領内の飛び地にある有名な霊廟、スレイマン・シャー(Suleyman Shah)の霊廟(kmzファイルはこちら)を守る部隊を撤退させるために、シリア領内へ侵入し、作戦を完了させました。
無人偵察機と偵察機に支援されたトルコ軍の戦車は、霊廟を守る小部隊を救出するため、夜間にシリアに入りました。霊廟はトルコの領地とされていて、イスラム国に包囲されています。
アフメト・ダウトオール首相(Prime Minister Ahmet Davutoglu)は、戦車39両を含む軍用車両約100台は霊廟を守る兵士38人を無事に救出しました。スレイマン・シャーはオスマン帝国の設立者の祖父でした。兵士1人が事故で死亡しました。
首相は記者会見で、トルコはこの任務のために許可や助言を同盟国に求めることはありませんでしたが、作戦開始後に対イスラム国有志連合に通知しました。
ダウトオール首相はツィッターで、スレイマン・シャーの遺体はトルコ軍に管理されるシリアの別の地域へ移動したと言いました。
トルコ政府は昨年、イスラム国民兵が霊廟に向かって前進していると言いました。
救助に向かう途中、車列はコバネを通過しました。
イスラム国とその他のイスラム主義のグループは、イスラム教の厳格なサラフィ(Salafi)の解釈は墓を崇拝することを偶像崇拝とみなし、シリアのいくつかの墓とモスクを破壊しました。
シリア政府からの反応はありません。
BBCによれば、ダウトオール首相は兵士が墓の建物を破壊したと言いました。イスラム国に利用されるのを防ぐためとみられます。
2014年3月、イスラム国は墓を守るトルコ軍が3日間で撤退しないと攻撃すると脅しましたが、そのような攻撃は起こりませんでした。
2012年8月、レジェプ・タイップ・エルドアン大統領(President Recep Tayyip Erdogan)は、墓に対する行為は我々の領域への攻撃であり、NATOの領域への攻撃だと考えると言いました。昨年、トルコ議会はイスラム国に対する武力行使を承認しました。
ダウトオール首相は遺体はトルコへ移動したが、すぐにトルコ軍の管理下で、トルコ国境の近く、シリア領内に新しい場所を与えられると言いました。トルコ国旗がその場所にすでに掲げられたと首相は言いました。
作戦中にイスラム国との衝突はありませんでしたが、兵士1人が事故で死亡しました。作戦は現地時間の土曜日21時に始まり、日曜日の朝に終わりました。
兵士600人と戦車と装甲車約100台がコバネを通過し、約35kmを移動しました。
記事は一部を紹介しました。
その後、シリア政府はトルコの行為を非難する声明を出したようです。
昨年10月に、イスラム国がスレイマン・シャーの墓に近づいていることを紹介しました(過去の記事はこちら)。当然、すぐにトルコ軍が救援に行くはずと思いましたが、そうはなりませんでした。
多分、コバネ戦が激化して、イスラム国は墓どころではなくなったのでしょう。トルコも霊廟に行くにはコバネを通るのが一番ですが、戦闘中で通過しがたい部分がありました。もちろん、実力は上ですから、強引に押し通ることも可能ですが、余計な犠牲を出す恐れがあります。クルド軍が一帯を支配したので、これを機会に場所を変えたのでしょう。霊廟を破壊することには、かなりの議論があったことでしょう。
それにしても、トルコがかなりの兵を動員したのに驚きます。この作戦なら、半分程度でも実行できたでしょう。 多分、情勢が落ち着いたら、霊廟を再建し、遺体を戻すのでしょう。十分すぎるくらいの兵を使うのが、トルコ軍のやり方なのかもしれません。シリア領内に遺体を埋めたことからも、イスラム国の脅威がかなり減っていることが連想されます。
さらに、イスラム国との戦闘が起きなかったことから、この辺にイスラム国の民兵がいないことが分かります。霊廟は昨日記事に書いたミンビジとアイン・イッサとをつなぐ道路上にあります。国内マスコミが何度も示すイスラム国の支配地域図は、すでに実態と異なると考えた方がよいのです。
この事件はトルコが対イスラム連合に加わるのを間接的に促進するかもしれません。
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