カサスバ中尉焼殺映像を検証する
MailOnlineによれば、反イスラム国活動家「Raqqa Is Being Slaughtered Silently(RIBSS)」が、モアズ・カサスバ中尉(Moaz al-Kasasbeh)が殺害された場所を、ランドマークを相互参照し、ラッカ(Racca)の南、ユーフラス川から数百メートルと特定しました。(kmzファイルはこちら)
証明が正確なら、処刑を防ぐために同盟国がより正確に目標を爆撃し、偵察活動を行うのを助けます。
ビデオ映像(左)からとった写真には捕虜の背後に、この建物(上、右)の一部を形成するタワーが見えます。(15:00頃)
二番目の写真はカサスバの背後に樹木の線があり、RIBSSはこの位置を確認できます。(14:40頃)
三番目の写真は捕虜が中庭の中、檻の前に立っているのを示します。写真は背後に壁があるのも示し、位置を確認できると言います。(15:35頃)
alarabiya.netによれば、イスラム国は今年、シリアで、神への不敬、スパイや敵対活動を理由に捕虜50人を殺害しました。この人数には生きたまま焼かれたヨルダン人パイロットも含まれています。人権団体「The Syrian Observatory for Human Rights」は 、イスラム国は主に斬首と銃撃によって殺害を行ったと言いました。
シリアにいる他のグループ、アルカイダ系のヌスラ戦線(Nusra Front)は6人を殺し、別に20人がその他の武装勢力やシリア政府派のグループにより殺されました。イスラム国は6月にカリフを宣言して以来、 1,432人の捕虜を殺しました。
記事は一部を紹介しました。
カサスバ中尉処刑の映像はこちらで見られます。ただし、極めて残虐な映像であり、視聴には注意が必要です。当方は、読者が視聴した結果については一切責任を持ちません。処刑の場面は後半に収録されており、17分頃から始まります。
処刑場所は土地勘がある人の検証でしょうから、かなりの確証はあると考えます。場所としてはほぼ郊外であり、矛盾はないように見えますが、そこに住んでいない私には確認はできません。証拠となる場面の表示時間は私がリンク先の映像から調べたものです。処刑場所も、記事からGoogle Earthで確認したものです。
ビデオ映像はかなりの編集が行われていて、製作者の意図が感じられます。それはカサスバ中尉が彼らに対する空爆という悪事により、神による処罰を受けて死ぬというイメージを観客に植え付けることです。そのために、様々な工夫がなされています。
カサスバ中尉がイスラム国民兵が見張る中、廃墟を眺める場面で、中尉は指定された動作をするように命じられ、意図が分からないままに演技をさせられているように見えます。民兵が同じ制服を着て、中尉に冷たい視線を浴びせているように見えるよう、構図が工夫されていることに注目してください。劇映画の手法が応用されています。民兵たちも演技をするよう指示され、処刑の前に事前に撮影した映像が処刑の映像に編集して挿入されているようです。檻の中でうなだれたり、鉄格子をつかむ中尉も、指示されて姿勢を取らされたのを撮影されたと考えます。これで、あたかも中尉が罪を悔いているような映像ができあがるのです。
オレンジ色のジャンプスーツが、檻の中にいるシーンでは汚れているのが分かります。恐らく、燃えやすいようにガソリンをかけられたのでしょう。
中尉に放火する場面からは一切の細工はなく、撮影した素材を切り詰めて編集しただけのようです。しかし、ここにも演出が見られます。中尉が絶命したように見える直後、彼の体が反り返り、後ろに転倒します。これは焼死体の特徴である「格闘家姿勢」です。筋肉が焼かれたことで凝固、収縮する時、伸筋群が屈筋群よりも多いため、死後に反り返るような姿勢になるのです。これは物理的な作用ですが、映像製作者はそこを利用して、中尉が神に屈服して、敗北したように見せるために利用しています。
では、中尉は本当に負けたのか?。私はそうは思いません。むしろ、中尉の死に様に強い感銘を受けました。彼は意識がある間、最後まで倒れませんでした。彼は鉄格子をつかみ、最後には膝をつくものの、倒れませんでした。そのままの姿勢で絶命します。誰もができることとは思えません。イスラム国の演出が彼の意志に敗北したのだといえます。
この処刑により、ヨルダンがイスラム国殲滅に向けて戦略を切り替える可能性が出てきました。しかし、上に示したように、イスラム国は他にも多数の人たちを処刑しています。カサスバ中尉の死が象徴的な事件として記憶され、戦争の動機になるのは不幸なことです。また、報復目的の軍事作戦は不吉なものです。それでも、中尉の遺体を奪還するという動機には、ヨルダン人は抗しきれないかも知れません。死亡した中尉にイスラム国はブルドーザーで瓦礫を被せました。遺体はいまでも現場にあるはずなのです。
地理的な問題はヨルダンによる地上戦の実行を困難にしています。ヨルダンからラッカに至る幹線道路はほとんどなく、シリア政府の支配地域を通るか、一旦イラクに入るかしない限り、荒れた砂漠を進むしかありません。砂漠の嵐作戦よりも数段困難であり、ほとんど実行不可能です。
シリア政府がヨルダン軍の通過を認める可能性は低いでしょう。もっとも、対テロ連合に入りたがっているシリア政府ですから、通過を認めるという大どんでん返しがあるかも知れません。
地上戦を行う場合、ヘリコプターで燃料や補修物資を運んで、砂漠に臨時の補給基地を設け、そこで補給を受けながら進むことになります。空軍基地があればそこを占領して活用することになります。たとえば、パルミラ(Palmyra・kmzファイルはこちら)には空軍基地があり、物資の運搬と集積に活用できます。それでも、戦力をラッカに集中するのは大変な作業です。
一人殺されたことで、この大変な軍事作戦を行うのかという問題をヨルダン人は解決しなければなりません。
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