ティクリートとキルクークで奪還作戦が同時進行
クルド軍がキルクーク奪還作戦を開始し、イラク軍のティクリート奪還作戦と同時進行の形になりました。
alarabiya.netによれば、クルド軍は米主導の空爆に支援され、イラクのキルクーク市(Kirkuk・kmzファイルはこちら)周辺のイスラム国陣地を攻撃しました。
ヘルメットを被り、最前線の近くで地元テレビ局に話したキルクーク州知事、ナジマルディン・カリム(Najmaldin Karim)は、攻勢の目的は街から民兵を追い出すことだといいました。
月曜日に最前線に行ったロイター通信記者は、ペシュ・メルガ戦闘員はイスラム国の陣地を砲撃し、街西部のいくつかの戦線で前進し、マラ・アブドラ地区(Mala Abdullah)とテル・ワード地区(Tel Ward)の村々を占領しました。
キルクーク北西部のカーラバルット(Kharabarut)でペシュ・メルガとイスラム国民兵との間に激戦がありました。
昨年8月にイラク軍がイラク北部で敗北し、イスラム国が国の3分の1を支配した時に、クルド軍がキルクークの支配を得ました。しかし、一部では最前線は20km以上も離れており、街は脆弱なままでした。1月にイスラム国はキルクーク周辺のクルド軍防衛戦をすばやく突破しました。
alarabiya.netによれば、イラク軍とシーア派民兵は月曜日に、ティクリートの北数キロにある町、ナハヤット・アル・アラム(Nahyat al-Alam)をイスラム国から奪還しました。
民兵が支援するイラク軍は日曜日に、アル・ダウル(al-Dour)とティクリートの南にあるアルブ・アジル村(Albu Ajil)の一部を占領しました。この村はサダム・フセインの生まれ故郷です。
アルブ・アジル村の一部住民は、イスラム国が昨年6月にティクリートと北部イラクを占領した時、近くのスパイカー陸軍基地(Speicher army camp)での兵士殺害に参加したとして、イラク政府とシーア派民兵により非難されました。
シーア派民兵はアルブ・アジル村への進撃をスパイカー基地の殺人への復讐だといいましたが、民兵指導者はスンニ派イスラム地域ですべての市民が良好に扱われるといいました。
記事は一部を紹介しました。
複数の場所でイラク軍とクルド軍が同時に攻勢を開始したことになります。
キルクーク南西部にはティクリートにつながる幹線道路があります。クルド軍はこの道路を占領し、射程下に置くことで、イスラム国が双方の街を行き来できなくし、自由を奪うのです。
異なる権威下の軍隊が協調した作戦を展開できていることは幸いです。
気になっていたスパイカー虐殺事件への報復が避けられそうになっている点も安心材料の一つです。いまは、個別の報復に目を向けるよりも、イスラム国打倒に集中しなければなりません。
イラクの戦線に関しては、流れがどんどんよくなっています。イラク北部全体については、ほぼ見通しはついているといえます。
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