ティクリートから大量の難民が流出

2015.3.6


 BBCによれば、イラクのティクリート(Tikrit)をイスラム国から奪還する軍事作戦は約28,000人の人々を家から避難させたと国連はいいます。

 これらの難民はサマラ(Samarra)へ向かいましたが、多くの家族は検問所で足止めされています。救援物資を運ぶ国連の輸送隊がこの地域に送られています。

 約30,000人の兵士とシーア派民兵が参加するティクリート作戦は現在4日目です。彼らはイスラム国を包囲しようとしていますが、彼らの前進は道路に仕掛けられた爆弾やブービートラップにより遅れているとBBCのジム・ミュアー記者(Jim Muir)はいいます。

 イラクのジェット機とヘリコプターが地上部隊を支援していますが、米主導の同盟国航空機は関与していません。

 武装勢力は木曜日に市郊外の油田に放火し、煙で空爆から目標を隠そうとしたためとみられると当局者はいいました。イラク軍のアブドル・ワハーブ・アル・サーディ将軍(Gen Abdul Wahhab al-Saadi)は、燃える油田は作戦に影響を及ぼさないといいます。

 国連の声明は「ティクリート周辺の軍事作戦は28,000人と見積もられるサマラへの移住を引き起こしました」「現場報告はさらなる立ち退きが進行中で、これまでにより多くの家族が検問所で足止めされたままです」。

 ホワイトハウスと人権団体は、シーア派民兵によるスンニ派地域における派閥的報復の危険性を警告しています。民兵の指導者は、6月にティクリート近郊のキャンプ・スパイカー基地(Camp Speicher)で起きた、大半がシーア派の兵士数百人の虐殺への報復を求めるといいました。

 水曜日、イラク軍はティクリートとクルド人が支配するキルクーク(Kirkuk)をつなぐ道路上にあり、アジル(Ajil)及びアラス(Alas)の油田に近い、アル・マイビデ村(al-Maibd)を支配したといいました。この道路はサラディン州(Salahuddin)とディヤラ州(Diyala)間のイスラム国の主要な補給路でした。

 別の当局者は、ティクリート北部、アル・アラム地区(al-Alam)にあるシハ村(Siha)とマズラート・アル・ラヒム村(Mazraat al-Rahim)を奪還したといいました。

 しかし、イラク軍と民兵はティクリートと南方19kmにあるアル・ダウル(al-Dour)周辺のイスラム国の防衛網を突破しませんでした。


 記事は一部を紹介しました。

 サーディ将軍が言うとおり、油田に放火しても、攻撃を止められないのは湾岸戦争が証明済みです。

 記事中の各地の場所は、正確には分かりませんが、 今のところ、イラク軍は郊外の外堀を埋めている段階で、一部が市中心部で戦闘しているようです。まだ4日目ですし、まあまあの進展といえます。

 ティクリートからキルクークへの道路を遮断するのは、ティクリートから各地への補給路を切り、物資と人の行き来を止めるためです。他の方面でも同様のことが行われていきます。こうして、イスラム国を街の中に閉じ込めていくのです。砂漠の国では、道路を車で移動しない限り、行き倒れになります。道路を遮断する効果は、普通の国よりも、遙かに大きいのです。

 戦いが短期間で終われば、難民はすぐに街へ戻れます。破壊された場所の復旧などは大変ですが、シリアのようなことにはならないでしょう。

 


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