タリバン指導者、オマルの死亡を確認
military.comによれば、タリバンの指導者、ムラー・モハンマド・オマル(Mullah Mohammad Omar)が死亡した可能性があるとの報道が流れましたが、その後、アフガニスタン情報部はオマルが2年以上前に死んでいたと水曜日に言いました。
彼はパキスタンに越境してから公衆の前に姿を現しませんでした。アフガン国家安全保障理事会の広報官、アブドル・ハシブ・セデキ(Abdul Hassib Sediqi)はオマルが2013年4月にパキスタンのカラチ(Karachi)の病院で死亡したと言いました。「我々は公式に彼が死んだと確認します」。
彼の死だけが今公表されたのはなぜかについては明確ではありません。タリバン、パキスタン当局者はコメントしていません。
匿名のパキスタン治安当局者は、オマルが死んだとの噂を和平会談を混乱させることを狙った憶測として否定しました。アフガンとタリバンの代表者は金曜日にパキスタンで14年目の内戦を終わらせる和平会談の第2ラウンドを開催します。
「彼はカラチの病院で重病で、そこで疑わしい死を遂げました」とセデキは詳細は伏せながら言いました。彼はアフガン政府は2年の間、オマルの死に気がついて、何度も公表したと言いました。
それよりも速く、アフガンのアシュラフ・ガーニー大統領(President Ashraf Ghani)の副報道官、ザファル・ハシミ(Zafar Hashemi)は政府がタリバン指導者が死んだとの報道を調査していると言いました。
オマルの死が確認されたことは、これまでは全体で行動するように見えた武装勢力の表看板が取り除かれたために和平交渉を難しくしますが、戦争を続けるか、ガーニー政権と交渉するかで意見が分かれると見られています。
タリバンは今年、戦争をパキスタンに接する南部と東部の中核地域からアフガン北部へ拡大しました。ここ数週間で、武装勢力はベダクシャン州(Badakhshan)の遠隔地の地域を支配し、タジキスタンに接するクンドーズ州(Kunduz)の地域へ大規模な攻撃を行いました。
記事は一部を紹介しました。
2年前どころか、そのずっと前から死んでいたような気もしますが、とにかく、オマルの死亡がようやく確認されたとのことです。もはや表舞台からは退いたと思っていたので、いま、特別な感想は浮かんできません。和平交渉への影響も憶測の段階で、タリバンがどう言うかはこれからの話です。
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