タリバン指揮官が後継者指名に関して辞任

2015.8.5


 military.comによれば、タリバンの指揮官、モハンマド・タヤブ・アグハ(Mohammad Tayab Agha)はムラー・ムハンマド・オマル(Mullah Mohammad Omar)が死んだ後で辞任し、タリバンの内部分裂の徴候を示しました。

 政治部の長、アグハは声明でオマルの死を隠したこととアフガン国外で後継者を選らんだことで、運動が歴史的な誤りをしたと言いました。

 タリバンは先週、アフガン政府が2年以上、オマルがパキスタンの病院で死んだと言った後でオマルの死を認めました。オマルの副官だったムラー・アクタル・マンスール(Mullah Akhtar Mansoor)がパキスタンのクェッタで、最高評議会7人により後継者に選ばれました。

 オマルの親類は決定を拒否し、新しい指導者が少数の集団により選ばれたといい、より広範な投票を求めました。アグハの声明はグループに長らく影響力を持ち、先月和平交渉の第一ラウンドに彼らを連れてくる主要な役割を果たしたパキスタンに対する、増加しつつある怒りを反映しているように見えました。

 タリバンは交渉を続行するか、反乱を続けるかに関して分裂するとみられています。和平会談はオマルの死後、無期限延期となりました。

 アグハは「国外で行われたすべての指導者の指名は抑圧されているアフガンのために非常に悪い影響をもたらしました」と言いました。彼は外国に住むタリバンのメンバーに帰国して、独立を維持するよう求め、タリバン指導者が長らく拠点を置くパキスタンに言及しました。彼の辞任は1990年代のタリバン政府当局者だった、ワヒード・ムズダ(Waheed Muzhda)によって確認されました。アグハはカタールに拠点を置きました。ここはタリバンが非公式の事務所を置いています。ムズダは事務所の少なくとも一人のメンバーが辞任したと言いました。

 タリバン高官約200人が火曜日にオマルの兄弟と息子と共にクェッタで会合を開くと、内部論争を解決することに取り組む統一評議会のメンバー、ムラー・ハミ—ドゥアラ(Mullah Hameedullah)は言いました。「我々は両方の問題を議論し、最後にオマルの家族は統一評議会に決定がどうであれ彼らは同意して受け入れると権限を与えました」と彼は言いました。

 彼は評議会は次にムラー・マンスールに会うと言いました。オマルの息子、ムラー・ヤクブ(Mullah Yaqub)が会合に参加したことを認めましたが、詳細は言いませんでした。

 タリバンは一方で火曜日に別の声明を出し、支持者たちに内部分裂に関する敵のプロパガンダを無視し、マンスールの下で団結するよう訴えました。

 クンドーズ州(Kunduz)のタリバン戦闘員約50人が3日前に、金を提供された後でイスラム国に参加したと、州知事広報官は言いました。


 記事は一部を紹介しました。

 タリバンがオマルの死を隠したのは、すぐに後継者を選べないために、当面、死を公表しないという判断をしたためでしょう。こういう判断は組織の分裂を招きかねないことです。指揮系統が不明瞭になるからです。

 さらに後継者も短期間で決められず、もめている訳で、いかにオマルの存在に依存してきたかという印象です。タリバンはアルカイダのように指導者の偶像に依存する組織ではなく、基本的に土着の民兵組織と思ってきましたが、いつの間にかアルカイダに近い性質に変わっていたのかも知れません。

 どうやらクェッタで行われる会議が今後を大きく左右しそうです。

 私はタリバンは分裂しないと思っています。規律が厳しく、大衆から治安を守ってくれるとの期待があります。イスラム国に転じる者がいるとしても、アフガン人がイスラム国による支配を望むとは思えず、対抗勢力としてタリバンを必要とするはずです。そうなると、タリバンがアフガン政府に歩み寄り、イスラム国を追い出すために一定の協力態勢をもつかもしれません。そうなると、アフガン情勢はかなり変化しそうです。

 とにかく、会議がどういう結論を出すかに注目します。

 


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