タリバンの分裂でアフガン軍が前進

2015.9.1


 military.comによれば、アフガン当局は政府軍がタリバンが占領してきた南部ヘルマンド州(Helmand)の戦略的な地域の支配を取り戻したと言います。

 ヘルマンド州知事の広報官、オマル・ザワク(Omar Zwak)は日曜日に、アフガン軍が金曜日にムサ・カラ地区(Musa Qala・kmzファイルはこちら)を奪還する作戦を開始したと言いました。ザワクは戦闘で兵士6人が死亡し、14人が負傷したと言います。

 タリバンは水曜日にそこにいた治安部隊を狙った1週間の攻撃の後でムサ・カラを占領しました。NATO軍は先週、アフガン軍を支援するためにこの地域のタリバン陣地に少なくとも13回の空爆を行ったと言いました。

 アフガンでサイダのヘロイン生産地であるヘルマンド州はタリバンの中核地帯で、4月に始まる暖かい気候の戦闘時期以降、激戦の現場です。

 一方で、元指導者ムラー・ムハンマド・オマル(Mullah Mohammad Omar)の死亡に続く指導者の危機を解決するために、そのメンバーはパキスタンで会合を開くとき、タリバン派閥間の銃撃戦は南部アフガンで少なくとも5人の死者を出したと、武装勢力のグループは土曜日に言いました。

 それはオマルが2年以上前に死んだと発表された後、最初のタリバン内紛の確認された報告でした。

 ムラー・オマルの家族は元副官、ムラー・アクタル・マンスール(Mullah Akhtar Mansoor)が新しいタリバン指揮官に指名されたことに反対し、競争は暴力へと広がったと、グループを再統一するための委員会の長、アフマド・ラバニ(Ahmad Rabbani)は言いました。ラバニはパキスタンのクエッタから話しました。そこには何百人ものタリバン支持者が分裂を解決するために会合をしています。

 5人の死は、オマルの家族に忠誠を誓うタリバン指揮官、ムラー・マンスール・ダドラ—(Mullah Mansoor Dadullah)がマンスールに対抗する数百人のガンマンを南部のザブル州(Zabul)で率いた後に起こりました。サブル州でタリバンは長く戦っていたとラバニは言いました。


 記事は一部を紹介しました。

 どうやら、上でもめている間にアフガン軍と内紛がタリバンの中に広がっているようです。アフガン軍が占領したのはタリバンの本拠地の北部で、ここを占領しただけではまだ不十分です。

 そして、タリバンの後継者が未だに決まっていないことが確認できました。このままタリバンが衰退するのならそれもよいのですが、その代わりにイスラム国が入り込んだりすると、状況はなお悪くなるでしょう。肝心なのはアフガンが長期的に安定することです。イスラム国への対抗勢力としてタリバンが存在することは有益かも知れません。タリバンも異質ですが、イスラム国はタリバンすら受け入れがたいほどに異質です。一番よいのはアフガン軍が両方を駆逐することですが、期待できそうにありません。成り行きを見守るしかない感じです。

 


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