復元された零戦が日本上空を飛行
military.comによれば、伝説の零戦が水曜日に日本の空を第2次大戦以降、初めて飛行しました。
復元された機体は日本の南端にある海上自衛隊基地から短時間の飛行を行いました。受勲歴のある元米空軍パイロット、スキップ・ホルム(Skip Holm)が航空機を飛ばしました。
零戦は第2次世界大戦で、イギリスのスピットファイヤに対抗する、最も能力がある長距離飛行機の一つとされていました。少数がまだ作動状態にあります。
この特別な機体は1970年代にパプアニューギニアで腐食しているのを発見されました。機体は日本人のビジネスマン、石塚政秀が購入するまではアメリカ人が所有し、昨年9月に日本に運ばれました。
「私は日本人に、過去を記憶する老人だけでなく、特に若い人に零戦について知って欲しいと思います」と石塚は言いました。「それぞれの人々は異なる考えや視点を持つでしょうが、私はどのように日本が技術を発展させたかを知ることを望みます」。
日本人は航空機を日本の技術的進展と恐ろしい戦争の歴史の両方の象徴とみなします。
戦いの最終段階で、航空機はカミカゼ攻撃のために使われました。カミカゼ攻撃のパイロットは水曜日の飛行と同じ飛行場、九州の鹿屋海上自衛隊基地から離陸しました。
アメリカ人の所有の元で、航空機はハリウッド映画『パールハーバー』と米国内の様々なイベントで姿を現しました。
記事は全体の抄訳です。
すでに国内報道でも報じられていますが、あえて取り上げました。
この飛行は「零戦里帰りプロジェクト」の活動によるもので、今後、国内での飛行イベントなどを実施していきたいとのことです。
1995年に私は別の零戦が飛ぶのを北海道で見ています。豊頃町のグライダー場でプレーンズ・オブ・フェイム航空博物館が所有する零戦55型がP-51と共に飛行するイベントが行われたのです。零戦は有名なパイロット、スティーブ・ヒントン氏が操縦しました。このために私はビデオカメラを買いました。
このイベントがよかったのはP-51という比較対象があったことです。直に見たのと、会場で販売されていた機体の実録ビデオを見て、両者の構造があまりにも違うのに驚きました。零戦のエンジン音はじつに小気味よい音でした。この零戦にはオリジナルのエンジンが付いていたので、本物の零戦の音が聞けました。P-51のエンジンは水平12気筒で、パワーが違いました。音が非常にうるさいのです。この強力なエンジンで飛ぶために、華奢な零戦とは比較にならないほど内部構造が頑丈に造られていました。これはまったく別物だという印象でした。この結果、私の視線は航空マニアのようにはならず、 一歩退いて、機体を見るようになりました。
今後行われるイベントでは、こういう比較展示はないでしょうから、そこが気になるところです。単に日本の技術を礼賛するだけで終わるのなら、それは意義の薄い見学となるでしょう。
当時、こういうイベントに行くことを躊躇するといった意見が新聞に投稿されました。私は大いに見学すべきだと思います。そこから何を考えるかは人次第です。それだけで軍国主義者になるようなら、元々軍国主義者だったというだけの話です。
零戦は人殺しの道具です。ゼロ戦は兵器です。戦争は人殺しと破壊であり、兵器はその為の道具です。零戦に何ができるのかを正確にイメージできないと、戦争を正確にイメージすることはできません。
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