南スーダンの10月前半の動き
「The Sentry」報告書の翻訳で時間をとられ、9月末から10月前半の記事を確認できていなかったので、まとめて読みました。
ここでは主に政治的な動きを追いかけました。戦闘に関する報道はほとんど毎日あり、地方で戦闘が起きたとか、首都付近でテロ攻撃があった、記者が拘束されて拷問を受けた、軍から兵士が大量に脱走したなどの報告は繰り返し出ています。
9月30日に、サルバ・キール大統領(Salva Kiir)は、彼は昨年8月に彼が追放されたレイク・マシャル(Riek Machar)と署名した和平合意を実行することに関与しているといい、外国人外交官に、彼と彼の政権が国が制裁を受けないという世界的コミュニティの保証を受けるのを助けるため、彼らの政府と国民に影響力を及ぼして欲しいと懇願しました。これは外国人外交官7人の歓迎式典で述べられました。(記事はこちら)
キール大統領は制裁を恐れているようです。しかし、後の記事でも分かりますが、制裁を回避するための行動は何もしていません。彼は少し弱気になっているようにもみえます。
9月30日、マシャル派のジェームズ・ギャトデット・ダク報道官(James Gatdet Dak)はキール大統領の「マシャルはトラブルメーカー」との主張に対して「彼はピースメーカー」と言いました。「南スーダン国内と地域、それを越えて、レイク・マシャル博士が1997年4月21日に、南スーダン国民の自決権に基づいて、スーダン政府と和平合意に署名したスーダン史上最初の南スーダン人政治指導者であることを知らない人はいません。そして、2002年1月6日に、彼の運動が故ジョン・ギャラン博士(Dr. John Garang)と結合したあと、指導者二人が最終的にナイロビで、非宗教的な民主的に統一されたスーダンと並んで競争する対の目的として自決権を追求することで合意した場で、2002年7月20日にケニヤのマチャコス(Machakos)で署名された包括的和平合意の最初の議定書は、スーダン政府との和平合意から写された自決権に関する同じ条項だったことを知らない人はいません。そして、それがレイク・マシャル博士が1991年から止まることなく説き勧めてきたために、2011年1月9日に行われた国民投票を通じて、最終的に2011年7月9日の南スーダン独立となったこの自決であることを知らない人はいません」。(記事はこちら)
マシャルの過去の行動については知られていない部分も多いのでとりあげました。彼は南スーダンをまかせられる人物にみえますが、「The Sentry」レポートではキール大統領と同じ悪党の一人です。いまのところ、レポートで取り上げられた住居に関する説明はありましたが、不可解な商取引に関しては聞いた記憶がありません。国際社会への影響力を考えても、何でも開示して欲しいと思っています。
10月1日、南スーダン政府は国連安保理が承認した地域の軍隊4,000人(現在12,000人)を主場空港とその他の重要な施設を守るために派遣されることに同意しました。新しい部隊はジュバを平和な状態にして、出入りするルートを管理し、民間人や2015年8月の和平協定を狂わせかねない対立する軍隊を攻撃する準備をする軍すべてを無力化することを付託されます。(記事はこちら)
ようやく南スーダン政府が国連部隊の増派に賛成したようですが、本当に受け入れたかは、これからの展開を見ないと分からないかも知れません。小さなことにもいちいち文句をつけてくる可能性もありますから。
10月4日、南スーダンの治安・軍情報将校は国防副大臣とヌエル族の将校数人を監視リストに入れ、彼らの過去の行動が、彼らが武装闘争を行うために離脱するというメンバーの一部による最近の決定の一部であるかどうかを判断するために監視を行うことを正当化したと言いました。複数の治安要員と軍情報将校は、デビッド・ヤウヤウ国防副大臣(David Yauyau)は自宅軟禁には置かれませんでしたが、先週、南スーダン民主運動/軍・コブラ派(SSDM/A-Cobra Faction)が政府から離反した後、彼と彼の同僚数名は監視リストに載ったと言いました。(記事はこちら)
ヌエル族排除の動きがどんどん加速していることが分かる記事です。
10月4日、コンゴ共和国は国連派遣団(MONUSCO)に、人道的な見地で空輸された南スーダンの反対勢力のグループを中央アフリカ国に移動させるよう要請しました。コンゴ政府は反対勢力兵士750人はコンゴ東部の住人の治安リスクになっていると言いました。コンゴはエチオピアに続いて、SPLM-IOの存在を拒絶する2番目の国です。(記事はこちら)
コンゴとエチオピアは南スーダン紛争から一歩離れていたいようです。上の記事にもありましたが、スーダンは自身も内部に紛争を抱えていて、そのためにスーダンの反政府勢力が南スーダン紛争に関与しています。それから救出されたマシャル派兵士の最終的な人数が確認できた点も意味があります。
10月5日、アメリカのスーザン・ライス国家安全保障担当補佐官(Susan Rice)は南スーダン政府に、7月にジュバで人道支援職員を攻撃した兵士を特定し、報いを受けさせるよう要請しました。ライス補佐官はタバン・デン・ガイ第一副大統領(Taban Deng Gai)とホワイトハウスで会いました。(記事はこちら)
アメリカから当然の要求です。この要求が出たということは、3カ月経っても、まだ南スーダン政府は犯人を拘束して裁判にかけていないということです。やる気がないとしか思えません。この事件も政府軍が兵士に命令を出したものとみて、間違いがないでしょう。しかし、狙いがよく分かりませんし、結果はやぶ蛇だったわけです。
10月6日、マシャルはスーダンの反政府グループが、石油が豊富なユニティ州で南スーダン軍と共に戦っていると主張しました。ユニティ州の反対勢力が任命した知事、ウェリアル・プク・ブルアン(Weirial Puok Baluang)は、平等運動のための正義(the Justice for Equality Movement: JEM)とスーダン人民会方北部軍(the Sudan People's Liberation Army-North: SPLM-N)がベンティーウ市(Bentiu)とルブコナ郡(Rubkotna)で反対勢力と戦うために南スーダン政府軍に参加したと言いました。「我々は南スーダン紛争で外国人傭兵の2番目の関与について世界に知らせているところです。統合されたJEMとSPLA-Nはキール政権の招待に応じて、今週ユニティ州の領内に戻りました」。(記事はこちら)
スーダンの反政府勢力が南スーダン紛争に関わっているので、これも無視できない勢力です。下手すると、分離したはずの二カ国が複雑な武力闘争に巻き込まれるかも知れません。
10月6日、マシャルはアメリカに米政権と南スーダンの状況に関して討議するため高官チームを派遣しました。SPLM-IOの教育委員会議長、スティーブン・パル・コル大使(Ambassador Stephen Par Kuol)が率いるチームはすでにワシントンに到着し、関係当局に接触を開始しました。彼らはタバン・デン・ガイがアメリカにいる間に到着しました。(記事はこちら)
政府がデン・ガイ第一副大統領を派遣したので、慌ててマシャル派も派遣したという形です。アメリカは重要な支援国で、味方につけておきたい存在です。
10月7日、キール大統領の批判者になった元大臣と情報機関高官4人の家がジュバで襲撃され、封鎖されました。SPLA軍情報部長官のマック・ポール・コール(Mac Paul Kuol)、元国防副大臣で2011年の独立前の国家保安局(NSS)局長のマジャク・アゴート(Majak Agoot)、故ジョン・ギャラン(John Garang)の未亡人のレベッカ・ニャンデン・デ・マビオア(Rebecca Nyandeng de Mabior)、元国家保安大臣で元政府軍参謀長だったオイエイ・デン・アジャク(Oyay Deng Ajak)が狙われました。急襲はNSSが行い、裁判所の令状なしで、家宅捜索、差し押さえ、人の拘束が行われました。情報筋は一部の家族が逮捕され、その他は殴られ、家から去るよう命じられたと言いました。マジャクとオイエイは2013年12月、紛争の始まりに逮捕されましたが、ニャンデンは非暴力の元抑留者グループに参加しました。マック・ポールは、マシャルによるクーデター計画容疑と2013年12月15日の暴力の引き金を引いたものについての政府の説明を誤りと拒絶した1カ月後、2014年5月に解任されました。(記事はこちら)
反対する者は誰であれ処罰するというのが南スーダン政府の方針です。世界から批判を受けるその最中に、こういうことをやっている訳です。それから、マック・ポールが2013年のクーデター未遂事件について、政府の説明を否定した途端に解任された件が目をひきます。マシャルがクーデターを起こし、キール大統領を殺そうとしたという話になっていますが、今年7月の戦闘をみると、このクーデター未遂はキール大統領の自作自演だった可能性が高いと、私は考えています。マック・ポールの意見はそれを裏づけるのかも知れません。
10月8日、南スーダンはアメリカの軍事支援を延長する決定を歓迎しました。バラク・オバマ大統領(President Barack Obama)は、この国で子ども兵が使われているにも関わらず、米軍が南スーダンの軍事支援を続けるとの決定を出しました。免責は、子供を軍隊に徴用する国への軍事援助を妨害する2008年の子ども兵防止法(the Child Soldiers Prevention Act)を回避します。この動きは米政権の高官によって主張され、支持された、武器禁輸と個人の制裁を執行する初期の計画から突然の大きなシフトともみなされます。(記事はこちら)
この動きは理解不能です。スーダンの反政府勢力への対処用としても、渡した武器がマシャル派その他へ向けられる可能性があります。あとで、この動きについてさらに調べたいと思います。
10月8日、日本の稲田朋美防衛大臣(Tomomi Inada)が戦争に襲われた国が国連の委任を受けた地域防護部隊4,000人を受け入れる準備をする時に南スーダンを訪問しました。首都ジュバとその外れに配置された部隊は、7月にルワンダで開催されたサミットでアフリカ連合のメンバー国によって承認されました。アジア国から来た約350人の平和維持軍は、世界で最も若い国で国連派遣団の一部を形成します。メディアは、日本の防衛省は戦争で破壊された南スーダンで危険な救出作戦の従事を求められる平和維持軍を派遣することを検討しているといいます。南スーダンの国連派遣団(12,000人強で構成される)は、南スーダン当局が若き国と署名した地位協定に違反して、その移動を妨害したと繰り返し非難しました。一部の国連平和維持軍も7月に首都で対立する2つの派閥の間で戦闘が勃発した時に殺されました。(記事はこちら)
日本の国会では、7月に首都で起きた戦闘は「衝突」であり、戦闘ではないとの説明があったばかりです。記事の中には「war-torn(戦争で破壊された)」「fighting(戦闘)」といった言葉が普通に登場しています。この記事に書いてあるように、駆け付け警護は「戦争で破壊された南スーダンで危険な救出作戦の従事を求められる平和維持軍」と、南スーダンの隣国の新聞は書いています。「自衛隊が現場に駆けつけると、武装勢力は蜘蛛の子を散らすように逃げてしまいました」なんて話を連想しそうな「駆け付け警護」という言葉がいかに不適切かが分かります。政府軍が国連の活動を妨害し、7月の戦闘で平和維持軍に死者が出ていることも書かれています。どうやら、アフリカでは自衛隊が命を賭して救出活動をやるとみなされています。日本にこういう厳しい認識をしている人はどれくらいいるのでしょうか。
10月9日、マシャル派のSPLM-IOはアメリカが政府軍への軍事支援を再開したことを、誤った決定だと非難しました。「これは文書化された過去3年間の市民の大虐殺、人道に反する犯罪に関わった政府軍を支援するための非常に不幸で誤った決定です」とダク報道官は言いました。「地位を退く米政権は、普通の市民を殺して拷問し、ジュバのテランホテルで最近起きたように米国市民を含めた女性を強姦するすることで知られる軍隊に軍事支援で恩恵を与えるべきではありません。アメリカは、その兵士がジュバの共和国宮殿の付近でアメリカ人外交官を銃撃した指導層の規律が乱れた軍隊に恩恵を与えるべきではありません。そして、なぜ米政府は2015年8月の和平合意に違反して国内で内戦を再開させ、戦争が拡大する中で反対勢力の軍隊に対して攻勢をかける派閥的な軍隊を支援するのですか」。 (記事はこちら)
ダグ報道官の話はいつも良識をわきまえたまともな内容で、マシャル派の軍隊が大量虐殺に関わったことを忘れさせます。オバマ政権の決定よりも、マシャル派の主張の方が遙かにまともにみえてしまいます。まだ、南スーダンについては分かっていないことが沢山あるように思えます。この軍事支援の延長については、さらに検討したいと思います。
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