キール大統領がマシャルの帰国条件に言及

2016.10.17


 sudantribune.comによれば、15日、南スーダンのサルバ・キール大統領(President Salva Kiir)は、反対勢力指導者、レイク・マシャル(Riek Machar)は、彼が暴力を非難し、連合政権が2015年の和平合意を実行することを許さなければ、南スーダンに入国を許されないと言いました。

 「地域は南スーダン共和国の紛争解決に関する合意を実行するために国家統一の暫定政権の側に立つべきです。これは我々の観測にも関わらず彼ら(地域指導者と友人)が彼ら自身が確立した合意ですが、我々がこの国で和平と安定を望むために受け入れた合意です」とキール大統領は土曜日にジュバ(Juba)で言いました。

 彼は「そして、私は7月の出来事はそれらそのものが南スーダン人が引き起こしていた懸念の証拠であると信じます」と付け加えました。彼らがこの合意が実行されるのを望むなら、彼らは現在、第一副大統領と彼のチームが私と共に活動することを赦し、その他の指導者たちはこの合意を実行するために協力する準備をすべきです」。

 南スーダンの指導者は、彼の住居で彼が主催したイベントで話していました。

 上級の閣僚、治安部門と軍の高官多数が、大統領が死んだと噂が広まった数日後に、イベントに出席しました。

 トア・デン・マーウィン(Tor Deng Mawien)は「共和国の大統領と政府は和平合意の実行に対して非常に明確です。しかし、相互信頼と理解を確立することがなんにしても重要です。レイク・マシャルはサルバ・キール大統領の共同大統領のように振る舞っていました。彼は副大統領のようには振る舞いませんでした」と土曜日に言いました。

 「だから、この環境で和平合意の実行を続行するのは困難でした。進展がなかったものの、現在はタバン・デン・ガイ(Taban Deng Gai)の新しいSPLM-IOのリーダーシップがうまくやっており、大統領は和平合意の実行を許されるべきことなのです」と彼は付け加えました。

 マシャルは7月に、300人の命を奪い、元反対勢力指導者に従う戦闘員を街から去らせた、彼とキール大統領の軍隊との間の再開した衝突の後でジュバを去りました。

 sudantribune.comによれば、15日、マイケル・マクエイ・ルース情報大臣(Information Minister Michael Makuei Lueth)は、マシャルがキール大統領に対して武装抵抗を求めた後で、南スーダン政府がマシャルに対して政治活動禁止を執行したと言いました。

 ルースは金曜日夜にジュバで、マシャルは南スーダン国内で政治について語ることを許されませんが、代わりに彼の選択で亡命を求めることを勧告しました。

 彼は政府が外国政府と、マシャルが政治から離れて平和に暮らせる国を特定するために活動していると主張しました。

 「彼は追放されています。彼は南スーダンに戻れないでしょうし、もはや政治について語ることを許されません」とルースは記者に言いました。


 記事は一部を紹介しました。

 まったく、どの口が言うのかと思うキール大統領の発言です。どうせ、マシャルの帰国など、彼が認めるはずはなく、入国しようとすれば大軍が押しかけて妨害するか、彼を殺そうとするでしょう。

 そもそも7月に戦闘を始めたのはキール大統領です。すでに国連がそう認定しています。

 さらに政治活動を禁止して、政治的抹殺を狙っています。彼を排除したことが和平合意に反することなど、おかまいなしです。自分に都合がよいことだけ実施して、国際社会との約束は守らないばかりか、支援団体を攻撃までしています。

 排除されるべきはキール大統領一派です。

 このままでは南スーダン和平は崩壊します。すでに崩壊しているかもしれません。国際社会はシリア内戦その他への対処で手一杯です。キール大統領はそこも計算しているはずです。アメリカは大統領選挙でしばらくは大きく動けません。キール大統領が権力を拡大する要素は揃っています。国際社会は何か手を打つ必要があります。

 それこそ、自衛隊は国連施設で排水溝を掘っている場合ではないはずです。

 7月の衝突での死者が300人と、この記事には書いてあります。大統領宮殿付近での支社が100人といわれますから、200人が反対勢力軍を追撃した時に死んだことになります。これはかなり大きな数字で、20倍の戦力比があった軍隊同士の戦いとしては記録的なものです。普通は劣勢の側が全滅するところです。反対勢力の部隊は750人がコンゴまで逃げることに成功しています。



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