米軍は重傷者を助ける兵士を表彰
重傷者は放置しろと教育する陸上自衛隊ですが(関連記事はこちら)、米軍で最高位の勲章、大統領が直接授与する「名誉勲章」を受勲する人たちは大抵が戦死者です。
米軍はこういう兵士を英雄として讃えるのに、自衛隊では認めないのです。そのために基礎訓練の段階で新入隊員に叩き込んでいます。
名誉勲章は「比類なき武勲」に対して与えられますが、それは「味方を守ろうとして犠牲になること」とほぼ同じ意味です。その結果、戦死者に最高の勲章が与えられることが多くなります。受勲者が多い戦争からその傾向をみてみましょう。
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戦死者 |
第2次大戦 |
6 |
467 |
朝鮮戦争 |
6 |
140 |
ベトナム戦争 |
54 |
206 |
強度の高い戦争になるほど、生存者が受勲する可能性は低くなる傾向があることが分かります。第2次世界大戦では受勲者中の生存者の割合はたった約1.3%に過ぎません。
受勲者が戦死する理由は様々ですが、それらの中には、味方を守って命を落とした者が含まれます。いくつかの例を紹介します。ソースは名誉勲章の公式サイトです。
第5特殊部隊群
ゴードン・ダグラス・イェンテマ軍曹(Sergeant Gordon Douglas Yntema)
任務中の命を危険にさらし、任務の要請を超えた、顕著な勇敢さと大胆不敵さに対する授与。1968年1月16〜18日、米陸軍のイェンテマ軍曹はカイカイ基地(Camp Cai Cai)から来た民間人非正規兵を補佐する間に武勲を立てました。イェンテマ軍曹はソン・ビン村(Thong Binh)東側の阻止位置まで2個小隊に付き添いました。彼らはベトコンと激しい銃撃戦を始めました。ベトナム人指揮官が銃傷を負うと指揮を引き継ぎ、イェンテマ軍曹は兵士を敵の掩蔽壕の50m以内へ前進させました。激しい銃撃戦の後、イェンテマ軍曹は彼らに阻止任務を果たさせつつ、彼らを防護するために部下を塹壕まで撤退させました。機関銃射撃の援護で、ベトコンの中隊が効果的に三方向からイェンテマ軍曹の小隊を包囲する位置に移動しました。弾薬供給の減少は露出した位置で大きな損害を負わせたベトコンの迫撃砲火と相まって、多くの南ベトナム軍兵士に撤退を促しました。彼自身が重傷を負い、撤退を命じたものの、イェンテマ軍曹は倒れた戦友のもとを去ることを拒否しました。猛烈は小火器と機関銃の銃撃の下、彼は負傷したベトナム人指揮官と致命傷を負うアメリカ人特殊部隊顧問を敵の砲火から保護するために、50m離れた小さな溝へ運びました。弾薬が切れて、降伏するまで彼らが彼の位置を制圧しようとする間、イェンテマ軍曹はベトコンの攻撃を撃退し続け、彼は降伏の機会を与えられました。拒絶して、彼を捕まえようとするベトコン約15人と戦う棍棒としてライフル銃を使い、イェンテマ軍曹は彼の場所を守りました。彼の抵抗はベトコンが彼を倒すために撃つしかなかったほど激しいものでした。
イェンテマ軍曹は味方を守り抜いて戦死しました。その彼に米政府は名書勲章を与えたのです。負傷兵を救護することは、必ずしも、その兵士の戦死につながることではありません。死んでもおかしくない状況で味方を助け、生還した兵士もいます。
第503歩兵連隊
サルバトーレ・A・ジュンタ技術兵(Specialist Salvatore A. Giunta)
サルバトーレ・A・ジュンタ技術兵は、2007年10月25日、アフガニスタン、コレンガル峡谷(Korengal)で武装した敵と、任務中の命を危険にさらし、任務の要請を超えた、勇敢さと大胆不敵さにより顕著な武勲を立てました。第503歩兵大隊第2大隊(空挺)B中隊の班指揮官としてパトロールを実行中に、ジュンタ技術兵と彼の班は、充分に武装し、充分に調整された武装勢力軍に待ち伏せされた時、過酷な地形を通って移動していました。激しい敵の銃撃の中、ジュンタ技術兵は即座に隠れる場所へ向けて疾走し、敵と交戦しました。分隊指揮官が倒れ、負傷したと考えられたのを見て、ジュンタ技術兵は敵の銃撃を弱めるために身をさらし、分隊指揮官へ向けて急いで走り、彼が隠れるのを助け、治療を行いました。応急手当を行う間、敵の銃撃がジュンタ技術兵の防弾服と補助火器に当たりました。進行中の銃撃にかまわず、ジュンタ技術兵は手榴弾を準備して投げる前に敵と交戦し、爆発を彼の位置を隠すための援護に活用しました。分隊から切り離された、さらに負傷した仲間の兵士に到達しようとして、ジュンタ技術兵と彼の班は、彼らを地面に押し倒した敵の銃火の斉射に遭遇しました。班は前へ進み続け、負傷した兵士に到達し、ジュンタ技術兵はもう一人の兵士が部隊からまだ分離さていることに気が付きました。それから、ジュンタ技術兵は彼自身の考えで前へ進みました。丘の上に到着すると、彼は武装勢力2人が米兵を連れ去ろうとするのを見ました。彼はすぐに敵と交戦し、一人を殺し、もう一人を負傷させました。負傷兵に到達すると、彼の分隊が追いついて、安全を提供したので、彼は治療をはじめました。極度の敵の銃火の中で、ジュンタ技術兵の断固とした勇気、無私無欲、決断力ある指揮は、敵の待ち伏せを打ち破り、仲間の米兵を敵から取り戻す小隊の能力のために不可欠でした。サルバトーレ・A・ジュンタ技術兵の任務の要請を超えた脅威的なヒロイズムと無私無欲は、軍務の最高の伝統に合致し、彼自身、第503歩兵連隊第2大隊(空挺)B中隊、合衆国陸軍に名誉をもたらします。
このように何人もに応急手当を施し、敵と交戦し、生還している兵士もいるのです。最初から足手まといは切り捨てるという考え方が常に部隊を救わないのは、こうした戦例が示しており、こういう事例は他にも多数あるのです。勝敗を決めるのは、果敢な決断力や行動力であり、初手から仲間を見捨てることではありません。
国際任務が増える中、一体どういう理由で、米軍とまるで違う伝統を築こうとしているのか、自衛隊上層部に聞いてみたいものです。
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