イラク軍がモスル東のゴジャリから市内へ
military.comによれば、火曜日早くに米特殊部隊隊員は、モスル(Mosul)の端の戦線に鉢に入る準備をしているイラク軍精鋭と共にいました。
黒い制服を着て黒い装甲車を運転するアメリカ人は、モスル東端のゴジャリ村(Gogjali)のすぐ外にいる米軍が訓練したゴールデン師団のカウンターパートに溶け込んでいました。
数人は骸骨と交差した剣の記章をつけ、一人はヘルメットに「ヒッピー殺し」と表示がありました。
彼らはメディアと話す許可を得ておらず、写真を撮らないよう求めました。
火曜日遅く、イラク軍特殊部隊はモスル郊外に入り、国営テレビの建物を占領し、街を支配するイスラム国の激しい抵抗に関わらず前進したと、イラク軍将官はいいました。
イラク特殊部隊のサミ・アル・アリディ少将(Maj. Gen. Sami al-Aridi)によれば、兵士たちはモスル境界のゴジャリ村に、後にさらにより立て込んだカラマ地区(Karama)に入りました。(下の地図ではal-Karamah)
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日没に、砂嵐が吹き込み、可視性を100m足らずに下げ、その日の戦闘を終わりにしました。
一方、米陸軍工兵も街に接近し、イルビル(Irbil)からモスルへの途中にあるグレート・ザブ川(the Great Zab River)の西方で即製爆弾を探しています。
第101空挺師団の記章をつけた兵士たちは、メディアと話す許可を得ていないといいました。
大きな爆発音が近くの村を揺るがしたとき、道路脇の建物を偵察していた兵士たちは装甲車へ戻りました。
ゴジャリ村近くの米特殊部隊隊員たちは迫撃砲を組み立て、バズーカ型の兵器を降ろし、農家の屋根から近くの戦いをみました。
彼らの位置からモスル中心部の大型のテレビアンテナがみえました。
ゴールデン師団が装甲車で前進すると、ロケットが空気を切り裂き、機関銃が唸り、爆発が地面を揺るがしました。
イラク軍は郊外ではなく、すでに市内に入っていますね。
ゴジャリの西に大型の墓地とラジオ局の敷地があり、その先にカラマ地区があります。アリディ少将がいう国営テレビ局はモスルラジオ局(Mosul Radio Station)のことかも知れません。
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ゴジャリとモスル市街の間には約800mの開墾地があり、そこに墓地とラジオ局があり、幹線道路が通っています。ここを占領することは重要です。他の場所から入るよりは、ゴジャリを経由した方が、侵入前に部隊を準備する場所が得られ、負傷者の手当をする場所も確保できます。
この重要な場所をイスラム国が簡単に手渡したということは、市内にいるイスラム国戦闘員が比較的少ないことを連想させます。今後、抵抗はあるものの、比較的楽にモスルを陥落させられる可能性が出てきたと感じています。
西側からも攻めていますから、イスラム国が橋に爆弾を仕掛けていても、モスルを掃討してから解除すればよく、 大した問題ではありません。
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