イラク軍がモスル東部左岸へ進出
モスル攻勢の続報を二つの記事からみてみます。作戦はゆっくりとしながらも、着実に進んでいます。
military.comによれば、イラク軍の最高指揮官は日曜日、兵士がモスル(Mosul)の中心部へ向けて前進を続け、イスラム国戦闘員を後退させ、民間人の安全にに関する懸念だけでなく狙撃兵の銃撃と自爆攻撃に妨害されているといいました。
一方で、女性を子供を含む、一部が所持品を詰めたバッグやスーツケースを持った数百人の民間人が安全な場所を探して、瓦礫が散乱した前線の地域から出てきました。
サミ・アル・アリディ少将(Maj. Gen. Sami al-Aridi)は、彼の特殊部隊はイスラム国から奪還した地域で家の捜索を続け、民兵と自爆攻撃に使われる車両を探しているといいました。
これらの地域の兵士たちは迫撃砲と狙撃兵の銃撃を受け続けていると、彼はいいました。
もう1人のイラク軍指揮官、ハイダル・ファデル准将(Brig. Gen. Haidar Fadel)は、家の中に隠れていた自動車爆弾犯が土曜日遅くにターリア地区(Tahrir)で、兵士に向けて自動車を走らせようとしたといいました。犯人は射殺され、爆弾満載の車は安全な距離で爆発したと、彼は付け加えました。
しかし、ファデル准将は、車は家の近くで爆発し、家を倒壊させ、民間人4人を殺し、別の4人を負傷させたといいました。
モスル東部で戦う兵士は土曜日に、街の中心部から約8kmのアル・ゾオア地区(Al-Zohour)を占領しました。この地区外縁への兵士の到着は、数百人の民間人が彼らの家から白旗を振りながら、前線の背後に安全を求めて出てくるのを促しました。
「我々にとって最大の障害はその存在が我々の速度を落とさせる民間人です」とアリディ少将はいいました。「我々は人道任務を行うことを訓練されていない兵士です」。
一方、イラク軍はモスル西方のタル・アファル(Tal Afar)郊外へ、街の空港を占領し、街を奪還する準備をするシーア派民兵を増強するために到着しました。彼らはメディアに話す権限がなく、匿名を希望しました。
イスラム国が占領する前、シーア派が多数を占めるタル・アファルは200,000人の住民があるとみられていました。
alarabiya.netによれば、対テロ部隊は激戦の中、モスルの左岸へ入りました。
街の東軸で戦う部隊はアル・モアリビーン(al-Moharebeen)、アル・モルミーン(al-Moalmeen)、アル・オアルマ(al-Oalmaa)を解放することができました。
「我らニナーワー到来(We are coming Nineveh)作戦」の指揮官が発した声明によると、イスラム国と戦う部隊はアル・バキル(al-Bakr)、アル・ザハビヤ(al-Zahabiya)、アル・カドラ(al-Khadra)、アル・カデシヤ(al-Qadisiya)、アル・オラ(al-Oula)、アル・ターリヤ(al-Tahrir)、アル・ウワラ(al-Walaa)を解放し続けています。
一方、第9師団はモスル南東の左岸地区で進展を続け、過去数日間で襲撃した地域を開放しました。部隊はニムルド(Nimrud)の北の街もいくつか占領しました。
イスラム国が東部のアル・シルカット(al-Shirqat)を支配しようとしたので、連邦警察軍は街の南西でイスラム国と衝突しました。戦いはイスラム国のメンバー多数の死亡で終わり、警察部隊は支配を得ました。
統合部隊は南部の軸で進展をみて、モスルの境界へ到達し、数キロ先のモスル空港へ向かおうとしました。
国連は土曜日、モスル東部の犠牲者は政府と支援グループの能力を圧倒したといいました。
民間人と軍の負傷者約200人が先週、病院へ転送され、10月17日に作戦が始まってから最高レベルになったと、国連人道支援調整官のリーサ・グランデ(Lise Grande)はいいました。
保健省によれば、負傷者中の民間人の割合も上昇しているようで、増加の一部はイスラム国から新たに奪還した地域への出入りが改善されたためのようですが、攻勢の最初の月で20%に達しました。
「当局は助けるためにできることすべてをしていますが、現場レベルでは射手と狙撃兵、十字砲火による負傷を受けた人数に対処する十分な外傷対処能力がありません。イスラム国は民間人を狙っています」と彼女はいいました。
米主導の同盟国から航空・地上支援を受けた100,000人強のイラク軍の同盟は、モスルをほぼ包囲していますが、過激派の防衛網を東側から破り、市内へ小さな足場を築いただけです。
民兵たちは空襲を避ける防御戦術として、百万の民間人の間で塹壕を掘ります。彼らはトンネルを通じて街中を移動し、自爆車を前進する兵士の中へ走らせ、彼らを狙撃兵と迫撃砲で攻撃します。
イラク当局は包括的な犠牲者の統計を公表しませんが、彼らは現場で処置できない最も重傷な場合だけを記録し、死亡者数を含まないため、国連の数字はおそらく総計の一部だけを示します。
「我々は作戦が強まって、さらに多くの民間人が傷つき、犠牲になることをとても心配しています」とグランデはいいました。「民間人は十字砲火にとらえられるのではなく、狙われています」。
両方の記事が、進展が遅れているのはイスラム国の攻撃だけでなく、避難する民間人に対処するためだといいます。これは吉報です。攻撃だけが進撃を遅らせる要因ではないのだから、進撃が不可能なほどの激しい反撃ではないと考えられるからです。
左岸地域はモスル東部のほぼ真ん中を流れるチグリス川の支流の西側の地域を指します。下の地図で「モースル」という文字の上から北へ向かう細い川がありますが、その川の西岸一帯を指します。
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赤い下線は前回示した占領地域、青い下線は今回確認できた占領地域です。記事にはさらに多くの地域名が載っていますが、場所は確認できませんでした。おそらく、この付近のより細かい地名なのだと思われます。
先に、イラク軍はゴジャリ(Gogjali)を占領した後、西へ進み、そこから北へ転進したと書きましたが、そうではなかったようです。ゴジャリから先はまだ競合地帯で、より北の方から別に侵入し、支配地域を拡大しているようです。
思っていたよりも進展は遅いが、着実に進展しているといえます。気になるのは、イラク軍の損害が公表されていないことです。大損害を出していないなら問題ありませんが、こういうことも公表するのが国際世論を味方につける一つの方法だということを、イラク人は学んで欲しいと思います。
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