南スーダン内紛は全面戦争の様相
sudantribune.comによれば、南スーダンの反対派閥は政府当局者が彼らが軍の最上級将校を殺したとの主張をたわいのない嘘だとして否定しました。
散発的な空への発砲が、月曜日の夜、首都でのレイク・マシャル第一副大統領(First Vice President, Riek Machar)との4日間の戦いの間に、SPLA-IO(反対勢力軍)の参謀長、サイモン・ガトウィッチ・デュアル将軍(General Simon Gatwech Dual)が殺されたという噂が流れた後、サルバ・キール大統領(President Salva Kiir)の兵士が主張する勝利を祝い、南スーダンの首都、ジュバ(Juba)を揺さぶりました。
軍隊はキール大統領とマシャル副大統領が支持した停戦の宣言も祝っていました。
流布された主張は、SPLA-IOの管理、財務担当の副参謀長、ジェームズ・コアング・チュオル将軍(General James Koang Chuol)が死者の中にいるとも言いました。
しかし、反対勢力指導者の報道官は、この主張は真実ではないと言い、最高位の指揮官は元気で安全であると言いました。
「主張はたわいのない嘘です。最高位の指揮官2人は生きており、元気です」と反対勢力指導者の報道官、ジェームズ・ギャトデット・ダク(James Gatdet Dak)は言いました。
彼は主張はキール大統領と戦っている兵士の士気をくじこうとする宣伝であると主張しました。
安全保障体制の合意により、ジュバ郊外にSPLA-IOの兵士約1,200人がいます。
キール大統領のSPLAはジュバ市内と周辺に数千人を配置したと考えられています。
4日間の戦いで、両側で1,000人以上の兵士が殺されたと考えられています。
記事は一部を紹介しました。
この記事で重要なのは最後の部分です。
マシャル派の軍勢が1,200人。キール派が数千人。死者が両方で1,000人なら、これは首都にいる部隊全体が交戦したことを意味します。一部の兵士が暴れた程度の話ではあり得ません。
考えようによっては、兵数が優勢なキール大統領がマシャル派を抹殺しようとして命令を出したとも考えられます。停戦の発効を遅らせたのは、マシャル派をできるだけ多く駆逐するためと想像されます。
完全に武力紛争が起きている状態です。
さらに、我々が得ている情報は一部であることも考えなければなりません。当初、100人とされた死者が200人以上に増え、それがさらに1,000人に増えたのです。現地で何が起きているかは、幅を持って考えなければなりません。
現地にいる邦人を空港へ輸送できたという知らせが未だにありません。内戦が復活したのに日本政府はそれを否定しています。日本政府の危機対応能力に疑問が湧くのは常のことです。武力紛争の定義は様々で定説がありませんが、その中の一つが死者が千人を超える場合を「戦争」とするとの定義があります。オスロ国際平和研究所の「ウプサラ紛争データ・プログラム」は死者が年間25人以上、1,000人以下を「マイナーな武力紛争」とし、死者1,000人以上「戦争」と分類します。たった4日間で死者が1,000人を超えた衝突はマイナーな武力紛争を超えて戦争に分類されるべきなのです。
内閣府が公表している「人道法における紛争形態の見分け方」は一読の価値ありです。冒頭に「当該国は武力紛争が存在することをなかなか認めたがらず」とありますが、今回は当事者は認めているのに非当事国の日本が認めていないことになります。
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