マシャル派報道官が兵力差を非難
sudantribune.comによれば22日、マシャル副大統領の報道官、ジェームズ・ギャトデット・ダク(James Gatdet Dak)は、対立する軍隊の釣り合わない兵数と重装備のジュバでの派遣について、最近の首都での衝突について非難しました。
「私は、治安合意の通りに我々が軽装備の少数の兵員をジュバに派遣したと信じます。これはキール大統領の軍隊にマシャル第一副大統領のボディガードを宮殿で、もう一度ジュベル・クジュアの軍事基地と彼の住居を攻撃するよう促しました」とダクは言いました。
彼は、2015年8月にIGADの調停者によってSPLA-IOの指導者に課された治安合意によれば、キール大統領の軍隊がジュバに20,000人以上であるのに、警察と軍の混合部隊2,910人しかジュバに配備が許されなかったと言いました。
ダクは合意した2,910人の1,300人しか到着せず、ジュベル・クジュア(Jebel Kujur)に配置されず、約400人の警察要員は統合訓練とキール派との同僚への統合のためにジュバの南のラジャフ警察学校(Rajaf)に連れて行かれたと付け加えました。
「もし2つの党派が同数の軍隊をジュバに派遣したら、キール大統領は第一副大統領を攻撃しようとは思わなかったでしょう。彼らは結果を考え、これは抑止力となりました」と彼は言いました。
彼は、キール大統領の軍隊はジュバでの4日間の戦闘で数百人を失ったものの、彼らは彼らの兵数が首都でのマシャルの軍隊の人数の20倍だったという事実によって鼓舞されたと主張しました。
「彼らは戦闘の質だけでなく、数を信じます。我々の1,370人に対して20,000人以上の兵士を持っていたことは、戦闘を始めるよう彼らを鼓舞しました」とダクは言いました。
ダクはさらに、キール大統領の軍隊は少数のSPLA-IOを排除して、3時間以内にマシャルを拘束できると考えたものの、彼らの側に大きな損失がでる戦いの日々へとなったと主張しました。
彼は合同監視・評価委員会(JMEC)に、治安合意の一環として、首都に反対勢力の残り1,000人が移動するのを容易にするよう要請しました。
報道官はキール大統領の軍隊は7月11日に宣言された停戦に違反し、戦闘がムンドリ(Mundri)とジュバ・イェイ線(Juba-Yei)の周辺で続いていると言いました。
彼はさらに首都の外25kmを非武装化して軍隊を撤退させるために第三勢力の軍隊を派遣する提案を歓迎しました。
彼は第三勢力の軍隊が市民を守り、対立する軍隊を分離するためにジュバの治安を担当すれば、状況はトップの指導者と彼らの派閥に合意の実行に従事する機会を提供すると付け加えました。
ダクは、大統領がマシャルを保護すると保障しているにも関わらず、キール大統領の軍隊が彼を追い詰めて、ムンドリとジュバ・イェイ線周辺で彼らの軍隊を攻撃し続けていると批判しました。
sudantribune.comによれば23日、南スーダンのレイク・マシャル第一副大統領は、タバン・デン・ガイ(Taban Deng Gai)をSPLM-IOから外し、彼がサルバ・キール大統領(President Salva Kiir)の派閥に離反したと非難しました。
マシャルはキール大統領にガイを鉱山大臣から解任するようにも依頼しました。
記事は一部を紹介しました。
兵力差の問題は最初から懸念されたはずです。そもそも、南スーダンの国際支援は初手から失敗続きでした。スーダンから独立した南スーダンが2つに割れて紛争を始めたのに、スーダンとの停戦合意を基本に活動が計画され、その後もそのままだからです。新たに生まれた紛争はまったく新しい局面となっているのに、それ以前の計画から考えを変えないなんてあり得ません。
戦力差は3〜4倍で優勢といわれているところ、20倍もいるのなら、多勢側が優位を感じて戦闘が再発するのは当たり前の話です。このことは当サイトでも指摘していました。
この調子では、この紛争は長期化、複雑化します。
タバン・デン・ガイの解任は理解できません。彼がマシャルの代理となるはずだったのに。何が起きているのか、本当に分かりません。
南スーダンでこれらが発生しているとの報道もあります。紛争のために対処は遅れるかも知れません。
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