南スーダン北部で戦闘が確認される
14日付けのsudantribune.comによれば、南スーダンのユニティ州(Unity)、サージャスボア郡(Tharjiathbor)で、武装した若者たちが政府軍と衝突し、45人が死んだと、支援活動家はいいました。
事件は週末に、ルブクアイ地区(Rubkuai)で起こりました。
匿名を希望した支援活動家は、政府が支配する地域を攻撃した若者は、リーチ州(Liech)の管理下にある近隣のコッチ郡(Koch)の出身者であるといいました。
彼は死者の多くは重傷を負った者たちの中から出たといいました。
この地域の致命的な戦いのために、住民の大量移住が進行中で、大半の支援活動家が紛争の現場から避難したため、人道支援の隙間ができる恐れがあると、当局者は日曜日に電話を通じて話しました。
伝えられるところでは、一部の支援活動家が石油が豊富なユニティ州の攻撃で負傷しました。
コット郡出身の若者が政府の陣地を攻撃したかは不明で、別の者たちは攻撃はレイク・マシャル元第一副大統領が支援したと主張します。
マシャルが戦闘を後押ししたとしても、まったく不思議はありません。首都付近での戦いを有利に進めるには、他の地域でも戦闘を起こし、政府軍が兵力を一カ所に集中できないようにするのは常識だからです。
日露戦争で、日本はロシア革命を起こす手助けをして、ロシア軍が極東へ移動するのを妨げ、戦争に勝つことができました。
戦国時代、関ヶ原の合戦に先立ち、上田城で真田昌幸が徳川秀忠の軍勢を足止めし、秀忠軍は関ヶ原での本戦に間に合いませんでした。
劣勢な方はなんでもよいから敵の足を引っ張り、戦力の集中を妨げるものなのです。
つまり、南スーダンの現在の状況は、やはり全面的な内戦が起きているのであり、「首都は平穏」なんて話ではないことが明白です。
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