核先制攻撃の放棄で抑止力が衰退するか?
ワシントン・ポスト紙が報じたことで、オバマ政権が導入を検討している核兵器の先制不使用政策に、安倍晋三首相が反対の意向を示したことが明らかになりました。安倍首相はハリス米太平洋軍司令官に「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」と回答しました。
日本政府はアメリカが核先制攻撃を放棄すると、北朝鮮に対する抑止力が減るといいます。これは本当でしょうか。
抑止力とは、自分が武力を行使すると、相手も行使すると合理的に想定でき、自分に対する被害の大きさを鑑みて、攻撃を思いとどまるような場面で働く力を指します。 これを核攻撃力で行う場合を「核先制攻撃」と呼びます。
核先制攻撃を放棄すると、この抑止力が減るのでしょうか。北朝鮮が核攻撃力を持っていると仮定して、核戦争の実際面を見てみます。
平壌からだと、日本は近いところで600km、遠いところで1,700km程度です。この距離では弾道ミサイルは10分前後で着弾します。キューバのハバナからワシントンまでが1,800km程度。打ち上げを探知して、直ちに警報を出しても、ほとんどの人には避難のための時間は5分程度しかなく、対処方法がほとんどないといえる距離です。
北朝鮮から核弾道ミサイルが発射されると、アメリカの早期警戒衛星が直ちにミサイルの航跡を探知します。
結果は直ちに米軍や同盟国の日本に通知され、自衛隊は直ちに使えるイージス艦を使い、早期警戒衛星が示す航跡の予測進路を探索し、弾道ミサイルを発見したら、迎撃ミサイルSM-3で撃墜を試みます。迎撃を実施可能な範囲に撃墜システムがない場合は、迎撃は行いません。将来的には、迎撃ミサイルの射程が伸びて、日本全体を網羅できるようになる見込みですが、現状では不可能です。
発射したミサイルが弾道ミサイルに命中するかは、実験結果しかなく、実戦データがないために不明です。入念な準備をする実験と短時間に発射する実戦では結果が違ってもおかしくありません。ミサイルを開発する側は弾頭を破壊する性能を実現したといいますが、そこまでに至っていないと批判する人たちもいます。そのため、迎撃ミサイルは一度に多数の弾道ミサイルに撃ち、数で迎撃ミサイルを凌駕する方法が用いられます。
そうすると、敵は多数のミサイルを同時に発射するとか、一つのミサイルに複数の弾頭を搭載して複数の場所を攻撃する多弾頭化、弾頭から囮を発射するなどの無力化を図ります。北朝鮮がこれらの技術を実現しているという証拠はありません。 しかし、弾頭に爆発物を搭載しない、いわば空の弾頭を積んだミサイルを多数発射すれば、日本にはどれに本物の弾頭があるかは分からず、空振りを増やすことができます。
撃墜できなかった弾道ミサイルはさらに進み、目標に向かって落下してきます。これは地上発射型のPAC-3で撃墜します。この命中率もやってみないと分かりませんし、なにしろ守れる範囲が非常に狭く、政府中枢や自衛隊基地を守るので精一杯です。国民にとっての盾としては、ほとんど機能しません。
地上では、全国瞬時警報システム(J-ALERT)などを使い、国民に緊急事態を告知しますが、ミサイル着弾まで10分間前後の上、公共の核シェルターが一つもない日本では、そもそも避難は不可能です。助かるのは、個人で核シェルターを持っていて、かつ攻撃時にその近くにいた人くらいです。
この環境で、核先制攻撃を放棄すると、抑止力がどれだけ減るのかを考えます。
まず、現在の技術では、移動式のミサイル発射装置がミサイルを打ち上げるタイミングを察知するのはほぼ不可能です。探知可能なのはテポドン2号のような大型のミサイルで、これは2ヶ所の施設からしか打ち上げられないので、偵察衛星の映像解析で発射台にミサイルの部品があれば、それと分かります。移動式の発射装置は普段、隠されていて、打ち上げ時に地上に出てきて、30分間で打ち上げ準備が完了するので、その間に発見することは、ほとんど不可能です。
テポドン2号の場合、巡航ミサイルを使えば発射台もろとも正確に破壊できるので、核攻撃はむしろ不要です。将来、技術が発展して、移動式ミサイル発射装置を発見し、攻撃できるようになった場合でも、核攻撃ではなく、精密爆撃による破壊の方がうまく行くでしょう。通常爆薬で精密に攻撃できる、低速度の誘導型ミサイルが効果的です。核攻撃だと無用に放射線を拡散し、大気を汚染することで、隣国に迷惑をかけてしまいます。
アメリカは当然、通常兵器による攻撃を選択するはずです。現在、米軍は核弾頭を搭載する巡航ミサイルは保持していません。潜水艦から打ち上げる弾道ミサイルは、ロケット基地を攻撃するには命中精度が巡航ミサイルより劣ることや強すぎる破壊力の点で不適切です。
北朝鮮がミサイルを発射するのを止めさせるために先制攻撃をする場合、核兵器よりも通常兵器による攻撃の方が適切なのです。核先制攻撃はいわば乱れ打ちであり、攻撃目標を絞らない無差別殺戮に他なりません。
もちろん、そうした問題点があっても、見せしめのために核攻撃をすることに効果があると考える人がいるかも知れません。北朝鮮のロケット基地の付近には農村や漁村があり、その住人への被害を織り込んだ上で、攻撃するという考え方です。しかし、相手は核戦争を決意した者たちです。少々の警告では思い止まりません。
テポドン2号の打ち上げ施設を破壊できても、移動型発射装置から打ち上げられるムスダンは破壊できません。どのみち、日本は核攻撃を受けるのです。
つまり、日本を核攻撃しようとすれば、アメリカが北朝鮮を核先制攻撃するから、北朝鮮が攻撃を思い止まるかといえば、それはほとんどあり得ないでしょう。必要があって攻撃を決意したのです。当然、核報復攻撃があることは理解しています。その上の決断ですから、先制攻撃があることも覚悟しているはずです。先制攻撃により、仮に、一部の弾道ミサイルが破壊されたとしても、残りが迎撃システムをかいくぐって日本に着弾すれば、北朝鮮にとっては攻撃は成功です。
それでも、先制攻撃の権利はあった方が、北朝鮮を脅かすにはよいと考える人はいるでしょう。僅かな可能性でも、それに賭けるべきだと。こういう考え方をする人は、戦争をするには神経が細すぎる人です。
核先制攻撃が常に抑止力とはならない理由が、キューバ危機にあります。 (キューバ危機についてはこちら)
1962年、ソ連がキューバに弾道ミサイル発射装置(移動式)を配置したことをアメリカが察知し、その撤去を求めたことから、全面核戦争の一歩手前まで行きました。
共産国家のキューバを危険視していたアメリカは、キューバで革命を起こして政権を転覆させるなどの工作を行っていました。これがきっかけでキューバとソ連は接近し、アメリカの行動を思い止まらせる理由になると考えて、弾道ミサイルやその他の通常兵器を兵員と共に密かに配備しました。アメリカから見れば、これは対応不可能な核攻撃能力がキューバにあることになり、容認できないことでした。アメリカはキューバに艦船を送って、洋上封鎖を実施して、上陸作戦を行う準備を行い、弾道ミサイルの撤去を求めました。最終的にはソ連が妥協して、ミサイル撤去に応じて危機は去りました。
ところが、ずっと後になって、キューバのカストロ議長がソ連政府に、アメリカがキューバに侵攻するのなら、核ミサイルを使うよう進言していたことが明らかになりました。これは一つ間違えば全面核戦争になっていた可能性を示します。これについて、当時の国防長官、ロバート・マクナマラが回顧録の中で証言しています。当時は武力を背景にした外交が成功したと信じたことが、実は世界の破滅直前まで行っていたのです。キューバ危機は、相手がケツをまくると抑止力は機能しないことの実例となりました。
まとめると、次のようになります。
- 核先制攻撃を堅持しても、先制攻撃を行う可能性はほとんどない。
- 核先制攻撃は、敵の核攻撃を直接的に妨げない。
- 核先制攻撃が、敵の攻撃性を高める可能性がある。
日本に可能な核攻撃を武力で防ぐ方法は、自前の巡航ミサイルを開発することくらいしかありません。移動型の発射装置を破壊することは無理ですが、北朝鮮の要所を破壊することは可能です。これによって、敵が攻撃を思い止まる力、抑止力が発生することが期待できます。
問題は、これが憲法上の規定や専守防衛の原則に違反しないかということです。また、北朝鮮向けに開発しても、近隣諸国は自国に対しても使える兵器が日本に存在することに疑問を感じるはずです。2004年に政府内部で巡航ミサイル開発の議論が持ちあがった時、反対したのは現在の与党のメンバー、公明党でした。
現在なら、北朝鮮が現に日本に対する攻撃能力を持つミサイルの開発を進めていることから、国内や国際社会の同意を取り付けることは可能でしょう。北朝鮮が本当に攻撃能力があるミサイルを開発できるかは疑問ですが、その可能性がある場合、どの国にも日本が巡航ミサイルを開発することに反対し得ません。巡航ミサイルの使用については、厳しい法的制限を定義することで、近隣諸国から理解を得るしかありません。
北朝鮮が弾道ミサイルを日本に向けて発射したら、直ちに巡航ミサイルを北朝鮮の主要政府・軍施設へ向けて発射する態勢があれば、核攻撃自体は防げないとしても、さらなる核攻撃を思い止まらせる抑止力としては機能します。
もう一つ、被害を減らすための方策として、公共の核シェルターの権説があります。日本はどういう訳か、核シェルターを造ろうとしてきませんでした。また、核攻撃を受けた際の対処マニュアルも作ってきませんでした。存在するのは、地震や水害のような自然災害への対処だけです。
核攻撃を受けたら、どのみち、生き残れないから核シェルターや避難計画は不要という終末論的発想は、神経が細すぎる人たちの発想です。少しでも被害を減らすという考え方は常に必要です。政府機関などが地下へ避難できれば、復興の鍵となり得ます。
最終的には政治が最大の抑止力です。キューバ危機をみれば、キューバがアメリカを敵視していなかったのに、アメリカがキューバを敵視し、その結果、キューバがソ連と軍事同盟を結び、それが世界の破滅を招きかけたことが分かります。脅威ばかりを強調し、軍事的手法で対処しようとすると、それは極限まで発展します。クラウゼヴィッツがいう「暴力の行使は直ちに極限に達する」という戦争の原則は、キューバ危機でも生きていました。
一つの策で北朝鮮のミサイル問題を解決する方法はありません。様々な方法を駆使して、敵に攻撃の動機を持たせない、被害を防ぐ方法を開発するなどの対処を行うことが重要です。
ところが、こういう話は複雑になりやすく、国民に理解されにくいため、与党は分かりやすい迎撃ミサイルや先制攻撃で国民を納得させようとします。それが今回、安倍政権がアメリカの核先制攻撃放棄に反対した理由です。
以上、まったく救いのない話をしたようですが、もともと、戦争とは救いとは無縁の話なのです。
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