日本政府が南スーダン武力紛争を認めない理由
18日付けの記事の中で、15日の稲田朋美防衛大臣の記者会見を紹介しました(関連記事はこちら)。その中で稲田大臣が「PKO法上の『武力紛争』が新たに生じたということではありませんし、また、『紛争当事者』がいるということではないというふうに思っております」と述べたことについて、考察します。
報道記事を読めば、明らかに南スーダンは強度の高い武力紛争状態にありますが、日本政府は決して認めようとしません。それはなぜかを考えます。
自衛隊が南スーダンに派遣されたのは「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(以下、PKO法)」という法律が根拠となっています。
稲田大臣は「PKO法上の『武力紛争』」と述べていますが、PKO法上に武力紛争に関する特別な定義がある訳ではありません。条文で最初にこの言葉が登場するのは第三条です。第三条の一には、この問題の原因が含まれています。
(定義)
第三条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
一 国際連合平和維持活動 国際連合の総会又は安全保障理事会が行う決議に基づき、武力紛争の当事者(以下「紛争当事者」という。)間の武力紛争の再発の防止に関する合意の遵守の確保、紛争による混乱に伴う切迫した暴力の脅威からの住民の保護、武力紛争の終了後に行われる民主的な手段による統治組織の設立及び再建の援助その他紛争に対処して国際の平和及び安全を維持することを目的として、国際連合の統括の下に行われる活動であって、国際連合事務総長(以下「事務総長」という。)の要請に基づき参加する二以上の国及び国際連合によって実施されるもののうち、次に掲げるものをいう。
イ 武力紛争の停止及びこれを維持するとの紛争当事者間の合意があり、かつ、当該活動が行われる地域の属する国(当該国において国際連合の総会又は安全保障理事会が行う決議に従って施政を行う機関がある場合にあっては、当該機関。以下同じ。)及び紛争当事者の当該活動が行われることについての同意がある場合に、いずれの紛争当事者にも偏ることなく実施される活動
ロ 武力紛争が終了して紛争当事者が当該活動が行われる地域に存在しなくなった場合において、当該活動が行われる地域の属する国の当該活動が行われることについての同意がある場合に実施される活動
ハ 武力紛争がいまだ発生していない場合において、当該活動が行われる地域の属する国の当該活動が行われることについての同意がある場合に、武力紛争の発生を未然に防止することを主要な目的として、特定の立場に偏ることなく実施される活動
条文中に「国際連合の総会又は安全保障理事会が行う決議に基づき」とありますが、南スーダン紛争に関する国連決議は2011年7月8日に採択された第1996号です。(原文はこちら 国連広報センターによる訳文はこちら)
国連決議の中に「2011 年7月9日の南スーダン共和国設立を歓迎し」と書かれています。南スーダンは第2次スーダン内戦の結果、独立した国家で、現在の南スーダンの勢力がスーダン政府と戦ったのが第2次スーダン内戦です。
つまり、国連が行った決議は第2次スーダン内戦に関してで、この時の紛争当事者は現在争っているサルバ・キール大統領とレイク・マシャルではなく、スーダン政府でした。この国連決議が採択された後、キール派とマシャル派の対立が激化して、現在に至っているのです。
従って、キール派とマシャル派がいくら激しく争っても、PKO法が国連決議第1996号によって発動されたものである以上、南スーダンとスーダンが武力紛争を再開しない限り、新たな武力紛争が起きた訳ではないと日本政府は考えるのです。
これはどう考えても詭弁です。国連決議第1996号が採択された後に新しい紛争が起きたと考えるのが正当な考察というものです。実際、国連決議は第1996号以降に何度も追加され、第1996号以降の決議を踏まえながらも、キール派とマシャル派の間に起きた紛争について、スーダンとの紛争と同じように懸念を発しています。
今年5月31日に採択された安全保障理事会決議第2290号は次のように書いています。(国連広報センター暫定訳による)
著しい生命の損失、200万人以上の人々の移送、そして財産の損失を含む、非常に大きな人的苦し み、さらに南スーダン国民を貧困にしまた不利にしていること、をもたらした同国の政治的指導者およ び軍の指導者たちの間の内部の政治的紛争から生じた、南スーダン共和国政府と反体制派部隊との間の紛争に関して深刻な憂慮と懸念を表明し、
明確に「紛争」という言葉を用いて、事態を表現しています。さらに、そのために「著しい生命の損失、200万人以上の人々の移送、そして財産の損失」が起きたとも書いています。大量の人の移動は強制移住であり、これは民族浄化の過程で起きる問題の一つです(民族浄化についてはこちら)。これが武力紛争でなくして何でしょうか?。
第2290号の内容はほとんどすべてがキール派とマシャル派の紛争に関することで、スーダンと南スーダンの間の問題については、何も書いていません。
それでも、日本政府は第1996号だけを問題にして、その経緯を無視するというのです。馬鹿げているにもほどがあります。
法律上の問題だけでなく、軍事的観点からも、日本政府の見解は現状の分析をまるで無視しており、そのために、派遣部隊が危険に陥る可能性を秘めています。7月の衝突で数百人の負傷者がジュバの病院で確認されています。各地での戦闘も報告され、犠牲者が出ていることも明らかです。
これが日本の政治です。いくら日本政府が「危なくなったら派遣隊は撤収させますから安全です」などと説明しても、信じるべきではありません。最初から撤退する気などないからです。PKO法には撤退条件に関する明確な規定はありません。そういう規定があると信じていた人には衝撃的かも知れませんが、どこにも書かれていません。
PKO法は派遣部隊の自衛官に小型武器しか持たせないという規定があります。派遣部隊に犠牲者が出れば、次に考えられるのは、この武器規制の緩和です。駆けつけ警護を実施して、隊員に犠牲が出れば、「小型武器では足りない、もっと強力な武器を持たせるべきだ」との意見が出るのを抑えられません。この程度のシナリオは政府が折り込み済み、いや日本国民もすでに無意識に折り込み済みなのです。日本人は、あまりにも平和なために、少しくらいなら戦争に首を突っ込んでもよいと考えているのです。
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