ニジェールの米特殊部隊死傷で調査
military.comによれば、10月にニジェールで米陸軍グリーンベレーの隊員が待ち伏せ攻撃を受けた事件で、軍の調査が始まっています。
米兵と調査官はラ・デイビッド・ジョンソン軍曹(Sgt. La David Johnson)が捕らえられて殺された可能性があるニジェールの村へ移動しました。
米アフリカ司令部は日曜日、アメリカとニジェールの軍調査チームが、10月4日の待ち伏せ・攻撃の現場と周辺の環境のより明快な理解を得るために、マリ国境に近いニジェール北西部のトンゴトンゴ村(Tongo Tongo)に入ったと声明を発表しました。
10月4日、第3特殊軍グループの米兵約12人とニジェール兵30人の合同パトロールが水とその他の補給品を受け取って立ち去り、南へ約46マイルにあるニジェールの首都ニアミー(Niamey)の近くの基地へ戻っていました。
パトロールはトンゴトンゴ村の外で、米軍当局が説明し、いくつかのニュースが報じた、地元の村人がいう、ピックアップトラックとオートバイを使った民兵約50人の戦力の待ち伏せにあいました。
米兵4人が殺され、ほか2人が負傷しました。ニジェール兵4人とアメリカ人のためのニジェール人通訳も殺されました。
フロリダ州マイアミ・ガーデンズ(Miami Gardens)出身の25歳のジョンソンと共に、ワシントン州のピュアラップ(Puyallup)出身の35歳のブライアン・C・ブラック2等軍曹(Staff Sgt. Bryan C. Black)、オハイオ州スプリングボロ(Springboro)出身の39歳のエレミヤ・W・ジョンソン2等軍曹(Staff Sgt. Jeremiah W. Johnson)、ジョージア州ライアンズ(Lyons)出身の29歳のダスティン・M・ライト2等軍曹(Staff Sgt. Dustin M. Wright)が殺されました。
トンゴトンゴ村への訪問は、調査チームが情報を集め、待ち伏せに関連する事実を特定するためだったとアフリカ軍司令部の声明は言いました。
10月4日の待ち伏せ以降ではじめて、米・ニジェールのチームは地元の村民と面談し、攻撃に関係する複数の関心がある地域の物理的調査とこの待ち伏せにつながり、攻撃の間とその後につながる行動を辿ったと、アフリカ軍司令部は言いました。
チームの主要な疑問の一つは、ジョンソン軍曹が銃撃戦の間に、どのようにパトロールの残りから切り離されたかについて答えを見つけることです。
彼の遺体はその他の者たちが回収された後2日間見つかりませんでした。
先の金曜日、村人2人がワシントン・ポスト紙に、ジョンソンの手は縛られ、後頭部が粉々だったと言いました。
「彼の腕は背中で縛られていました」と23歳の農民、アダモウ・ブバカル(Adamou Boubacar,)は電話インタビューで新聞に言いました。バブカルは先に似た説明をその他のメディアに与えました。
もう一人の目撃者は別にポスト紙に、ジョンソンの後頭部は「ハンマーのような何か堅いもので叩いたようにグチャグチャでした。彼らは彼の靴を奪いました。彼は靴下だけを履いていました」と言いました。
米国防総省は待ち伏せについて、アフリカ軍司令部指揮官トーマス・ワルドハウザー海兵隊大将(Marine Gen. Thomas Waldhauser)の参謀長、ロジャー・L・クルーチェ・ジュニア陸軍少将(Maj. Gen. Roger L. Cloutier Jr.)が指揮する15-6条での事実調査の完了が未決のため、ほとんどコメントを差し控えました。
先月、統合参謀本部議長ジョセフ・ダンフォード大将(Gen. Joseph Dunford)は調査に期限を設けましたが、結論が出たら、彼の最優先事項は調査結果を殉職者の家族と共有することだと記者会見で言いました。
「それが現在、最優先で知らせたい対象者です。家族が知らされたら、我々はすべて公開します」と彼は言いました。
交戦規定に基づいて、パトロールの米兵12人は、敵との接触がなさそうな時に、ニジェール軍に同行することを承認された、とダンフォード大将は言いました。
ダンフォード大将は後に、カレドニア共に韓国へ移動した記者に、彼は命令書を読んでおり、それは出掛けて地元地域に関する情報を確認するためのパトロールだったと言いました。
NBCニュースなどは国防当局者を引用し、パトロールはこの地域にいると考えられる大サヘルのイスラム国(the Islamic State in the Greater Sahel)と呼ばれる新しいグループの一員の過激派指導者を追いかけて、偵察任務から逸れたと報じました。
しかしダンフォード大将は「それは任務をより敵に接触しやすくするため、パトロールは特定のイスラム国指導者や場所をまったく目標にしていなかったと言いました。当時の見積もりでは接敵はなさそうでした」と言いました。
ダンフォード大将は、過激派指導者を追跡する任務で第二の米特殊作戦チームがこの地域にあるかや、二つのチームが接触していたかはコメントしませんでした。
「私が知らないこと、調査が見つけることは、どの時点で彼らが任務変更をしたかです」と言いました。
「もしそうなら、彼らがどのように任務を変更したか?。誰が任務変更を承認したか?。その任務は何だったか?」。
先月、ホワイトハウスでの記者への意見の中で、ドナルド・トランプ大統領(President Donald Trump)は、彼個人はニジェールのパトロールを承認しなかったと言いましたが、彼が他の地域で持っているものと同じく、作戦を行うための広範な決定権を当地の指揮官に与えたと付け加えました。
「私は彼らに我々が勝つように正しいことをするための権限を与えました。それが彼らが持つ権限です。私は勝利を望み、我々は勝つつもりで、我々はISISをひどく打撃しています」とトランプ大統領は言いました。
日曜日の声明で、アフリカ軍司令部は、トンゴトンゴの訪問は厳しい警護の下で行われたと言いました。
これまでの慎重なコメントで、国防総省は待ち伏せされたパトロールは接触がなさそうな地域で活動していたと言いました。
国連の報告は今年この周辺で少なくとも46回のテロ攻撃があったと言いますが、国防総省はこの地域では少なくとも26回、事件なくパトロールされていると言いました。
「この地域の我々の隊員、我々のパートナーの軍隊と民間人の安全と警護は最も重要でした」とアフリカ軍司令部は言いました。
「我々はこの任務の間、作戦の安全措置と地元民間人への影響を最小限にして活動を達成できるのを確実にするために、どんな苦労も惜しみませんでした」とアフリカ軍司令部は言いました。
「無辜の民間人、パートナーの軍隊、我々の隊員を脅かす攻撃に対応しなければならない事件で、十分な資産が利用可能でした」とアフリカ軍司令部は言いました。
この声明は、航空支援が調査チームを守るために配備されたかを特定しませんでした。
先月の記者会見で、ダンフォード大将は銃撃戦の現場に到着するためにフランス軍のミラージュ戦闘機と回転翼機が少なくとも2時間かかったと言いました。
ニジェールで米軍特殊部隊が活動していて、予想外の被害を出したことになります。
ダンフォード大将の言葉が本当とは思うのですが、任務変更があったなら、やはり、この地域でイスラム国が興隆していて、現地部隊が注視していたのかと思います。
待ち伏せが計画的だったかも気になります。特殊部隊は基本的には軽歩兵で攻撃には弱いものです。独立して行動できる点だけが強いのです。武装ヘリコプターやガンシップの支援があったかも知りたい。
待ち伏せは事前に部隊が移動してくることが分からないとできません。情報網が現地に張り巡らされていたことが推測されますが、それを米軍がどう評価していたのかが気になります。
海外任務を増やすなら、自衛隊も米軍の殉職者が出た場合の家族への通知の方法、航空支援の方法をもっと研究するべきです。南スーダンでは、航空支援なしで部隊を出しました。医療部隊も弱小でした。
日報は隠すし、報告やら調査なんかは考えてもいません。自衛官に死者が出ても、作戦を調査するなんて考えもしません。「敵に手の内を明かす」ことになるなどと主張する者たちが現れるはずです。
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