現地で嫌われる米軍協力者を救え
military.comによれば、イラク人の男性は2003年のアメリカの侵攻に続いて、米兵を助けるために命をかけたことで命を脅かされ、その後何年も彼と彼の家族は恐れながら生きていました。
殺すという脅迫と、誰かが彼の家の横に「裏切り者」とスプレーでペイントした日がありました。
「私は安全にして、家族と子供を無事にしておくために4回引っ越しました」とん男性は言いました。彼は依然として安全を気遣うため、ニックネームの「ドダックス(Dodex)」を使いたいと求めました。
ドダックスと彼の家族はいま、国の基盤と機関を再建するための作戦の間に通訳として米兵を助ける間に、彼とその他のイラク人が被った犠牲に対する国の報酬の一環として、アメリカに住んでいます。
彼の家族は、ニューヨーク市の警察官でワシントンヴィル(Washingtonville)の住人のビンセント・ラング(Vincent Lang)に恩義を認めます。ラングが2003年にイラクで米陸軍の軍曹だったとき、ラングの部隊のその他のメンバー、ショーン・パトリック・マロニー下院議員(Rep. Sean Patrick Maloney)と共にドダックスと友人でした。
彼らがイラクを去ったあと、ドダックスと接触を維持し、アメリカで住むためにビザを得る通訳の模索を支援する中で何年も手紙を書くことに費やしたのは、ラングと彼の部隊のメンバーでした。
アメリカへの亡命のバグダッドの米大使館への申請が行き詰まったとき、彼の助けの要請を受け取った数ヶ月後、マロニーのオフィスへ手紙を書いたのはラングでした。
「彼らは我々がこの国のためにしたのと同じく、自らを危険にさらしました。そして我々は単に立ち去り、いまや彼らは保護がなく自活しなければなりません。それは我々が彼らのために正しいことをしたのは当然のことです」とラングは言いました。
ドダックスは、ヒラ(Hilla)と呼ばれた街に配置され、地元の刑務所とそのイラク人看守を訓練する仕事をした、ラングの部隊のために2003年6月に雇われた通訳6人の1人でした。
毎日、しばしば午前5時から深夜まで共に、アメリカ人とイラク人通訳は単なる友だち以上になりました。
彼らは食事を共有し、誕生日を共に祝いました。
ドダックスは2003年9月に彼の結婚式に部隊の兵士を、男たちが安全上の理由で参加を許可されなかったにも関わらず招待しました。
「彼らは我々を友人ではなく、兄弟のように扱いました」とドダックスは言いました。
マロニーのオフィスによれば、イラクに米兵を助けた通訳1,700人以上は2007年以降、移民ビザを取得しました。
イラクに住んだドダックスと他の者たちは単に脅されるのではなく、死にも直面しました。
ラングと彼の部隊の他の兵士たちは地元の代議士と国務省に手紙を書き続けました。
ドダックスの努力を邪魔するものは、彼を雇った民間業者が去った後、彼が米軍のために働いたことを証明しようとするという問題でした。
「我々がそれが通過したと考えたあらゆる点で、それは行き詰まりました」とラングは言いました。
マロニーのオフィスに手紙を書いた4ヶ月後、議員の側近の一人がさらに情報を求めて彼に電話をしました。
ラングもマロニーのオフィスがイラクの米大使館から事件の情報を得られるように、ドダックスに書類にサインするよう依頼されました。
マロニーのオフィスは必要な書類を得る上でラングを支援するために大使館と国務省に要請しました。
「ラング軍曹の通訳は、イラクで我々の仲間を助けるためにすべてを行いました。我々は振り向いて、彼のために同じことをしなければなりません」とマロリーは言いました。
10月のある日、電話が鳴り出したとき、彼は働いていました。
ドダックスは素晴らしい知らせをもって、イラクから電話をしていました。彼は彼の家族がビザを認められたというメッセージを受け取っていました。両方の男たちは有頂天だったと、ラングは言いました。
今でも安全を警戒して、ドダックスはアメリカに出発することについて、両親、兄弟、姉妹だけに言いました。彼はまだ心配していて、感謝祭の頃にアメリカに飛んだ後、彼の家族が住む街を秘密のままにすることを望みます。
移行中の家族と同じく、彼らは新しい住居に落ち着き、健康保険を申請し、仕事を探すよう調整しています。
しかし、それは「素晴らしい人生だ」とドダックスは言いました。
最初、「我々はアメリカにいるとは信じませんでした。目覚めると、それは夢のようです。素晴らしい夢のようです」。
自衛隊も海外で活動するとき、現地の協力者を必要とします。自衛隊が行くような場所は政情が不安定で、そんな場所で外国勢力に協力することは、自らを危険にさらす可能性を秘めています。
そういう協力者を日本に逃がすような手法を、日本がとれるとは思えません。
まず、日本は移民に対して不寛容です。そもそも、移民をほとんど受け入れていません。
なのに、国際貢献のために自衛隊を派遣する話となると、突然、「悲惨な状況に置かれた人たちを救わなくていいのか」という意見が飛び出します。単に、意見を押し通すための方便に過ぎませんが、日本国内では結構有効です。
そして、派遣が実行されますが、終わってしまうと、現地のことなんか知らぬふりに戻ります。南スーダンが好例です。いまや日本にとって、南スーダンなど、どうでもよい場所です。その後も国内扮装が続き、国民は貧困に喘いでいますが、気にすることはありません。
ここで、現地の協力者が日本に亡命したいと言ったとしても、誰も動かないでしょう。「悲惨な状況に置かれた人たちを救わなくていいのか」という者はいないでしょう。
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