南スーダンに関する政府答弁はデタラメ
時事通信によれば、稲田朋美防衛相は8日の衆院予算委員会で、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊部隊が首都ジュバの状況について昨年7月の日報に「戦闘」と記載していた問題で、「一般的な辞書的な意味で戦闘という言葉を使ったと推測している。法的な意味の戦闘行為ではない。武力衝突だ」との見解を示した。
民進党の小山展弘氏への答弁。
稲田氏は当時の治安状況について「武器を使って人を殺傷したり、物を壊したりする行為はあった」と認めた。しかし、「国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為とは評価できず、(停戦合意が崩れた場合の撤収などを定めた)PKO参加5原則は守られていた」と主張し、自衛隊撤収が必要な状態ではなかったとの認識を示した。
防衛省が当初、日報を破棄したと説明していたことについて、小山氏は「開示責任を果たさなかった」と批判。これに対し、稲田氏は「隠蔽(いんぺい)との指摘は当たらない」とした上で、情報公開請求には適切に対応していく考えを示した。
稲田大臣の答弁は嘘の塊に過ぎません。
「国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為」が戦闘行為の定義だという政府説明がもともとおかしいのです。「国際的な武力紛争」は国同士が国境を挟んで行う戦闘を指します。南スーダンは内戦ですから、国家内部での争いであり、「国際的な武力紛争」ではないと言い逃げることができます。
南スーダンに関しては、スーダンとの和平は一応実現しており、一部に合意に達していない事柄があるものの、戦争になる可能性は低くなっています。つまり、南スーダンに関しては、スーダンとの戦闘が再開しない限りは、国際的な武力紛争とはならない訳です。
しかし、7月に起きた首都での戦闘は、参加した兵数からしても、戦闘と呼べるだけの規模を持っていました。現地部隊にとっての負荷という視点で判断すべきことを、単なる言葉だけでくくってしまう日本政府の考えは受け入れることができません。
内戦であっても、負荷の高い戦闘が起こることは、いくつもの事例が示しています。むしろ、国家同士の戦争の頻度は減っており、凄惨な内戦が続いているのが現代の特徴です。
さらに言うと、日本語では「戦闘」と「衝突」は意味が別だといえても、英語ではまったく同じであり、日本政府の説明が英語圏で受け入れられるものではないことにも注意が必要です。マクミラン英語辞典では「clash」の意味の筆頭にあげられているのは「fight/battle」であり「mainly journalism a fight or battle between two groups or people」と説明されます。つまり、主にジャーナリズムで用いられる言葉であって、2つのグループや人々の間の戦いや交戦だということです。軍事用語としては「clash」は用いられにくいはずです。報道で使う言葉を一般的な意味だとして、政府内で使う感覚も疑わなければなりません。
ごく最近の報告である「日報」を廃棄したのは、都合が悪い情報を隠そうとしたためであり、隠蔽に他なりません。アメリカなら米軍の記録は公文書館に保管され、利用できるようになっています。あるウォーゲームの作者は、公文書館でゲームに登場する砲兵隊が、戦闘があった日に故障した砲を持っていることを発見し、攻撃力を他の部隊よりも小さくしたと述べています。このように細かい報告書まで保管し、いつか利用できるかも知れないと保存しているアメリカの努力を、日本も見習うべきです。
太平洋戦争中にサイパン島で最高指揮官3人が切腹したとの史実は誤りである可能性が高いと、前に指摘しました。これは部下の一人が3人の切腹に立ち会ったと述べたために史実とされているものです。しかし、他の情報を付き合わせると、3人は別々の場所で自決した可能性が高く、それは未だに修正されていません。
こういう風に、都合よく歴史を作り替えてしまう日本人の習性を改めない限り、日本の政治は進歩しません。
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