キール大統領がアワン参謀長を解任
sudantribune.comによれば、南スーダンのサルバ・キール大統領(President Salva Kiir)が参謀長のポール・マロン・アワン大将(General Paul Malong Awan)を解任しました。
マロンを即時排除する火曜日の命令はいかなる理由もあげませんでした。
アワンは管理・財務担当副参謀、ジェームズ・アジョンゴ・マウト中将(Lieutenant General James Ajongo Mawut)と交替させられました。
この交替は軍隊が紛争地域で民間人に対する著しい人権侵害、強姦、残虐行為、戦争犯罪を繰り返し訴えられる時に来ました。
彼の生地から悪名高い民兵を徴用もしたアワンは、南スーダン軍の兵士で虐待を取り締まることができませんでした。
2月、イエイ川州(Yei River)を訪問中、キール大統領は女性や少女を強姦したと訴えられた兵士たちを非難し、これが政府の方針でないと強調しました。
「私は参謀長ポール・マロン大将と国防大臣に、いまからこういうこと(強姦)が起きるなら、私に報告するよう求めます。そういう場合、我々はそれを行ったものを撃ちます」と南スーダンの指導者は強調しました。
5月3日、南スーダン軍の兵士は元ユニティ州(Unity)のリーア(Leer)で国連軍(UNMISS)の基地を攻撃したと訴えられました。
安全保障理事会は、この攻撃を非難し、こうした攻撃の実行犯は狙いを絞った制裁に指定されるかも知れないことを思い出させました。
南スーダンの3年に及ぶ紛争は百万人以上の子供たちを国から追い出したと、国連は月曜日に発表し、一世代の未来が崖っぷちにあると警告しました。
4月27日に、キール大統領は、警備隊から出席しないように助言された後、南スーダン軍司令部へ向かう途上で参謀長との会議をキャンセルし、大統領官邸へ戻ったと、複数の消息筋はいいました。
なぜ大統領が軍司令部への途上で考えを変えたのかは明らかでなく、政府と反対勢力の支持者の間に議論を巻き起こしました。
「大統領は警護隊から南スーダン軍司令部へ行かないように助言されたので、ビルパム(Bilpam)へ向かっていたが、途中で引き返しました。私は理由を知りませんし、誰にも尋ねませんでした。大統領は電話で話していて、彼が話し終わった時に運転手は車の向きを変えました」と匿名を希望した大統領側近はいいました。
キールの決断はどちらも大統領への野心がある元参謀長と安全保障局内局の長官アコル・コー・カック(Akol Koor Kuc)との間の緊張に関連づけられました。
sudantribune.comによれば、アワン元参謀長は火曜日の解任の後、キール大統領の政府へ反逆する意向を否定しました。
アワンは彼の生地ウェイル(Aweil)への移動を停止したイースタン・レイク州(Eastern Lakes State)のユイロル(Yirol)で開催された集会で述べた演説で否定を行いました。
火曜日、ジュバ(Juba)を突然離れたのに続いて、彼の解任の噂は、アワンがキールに対する反逆を指揮すると、首都を駆け巡りました。
彼が夜に首都を去ったことの状況は不明のままで、オフィスを引き渡す前に何が彼を去るように促したか誰も知りません。
安全保障のアナリストは、解任の原因をマロン配下の軍隊とアコル・コー配下の国家安全保障局との間の緊張が、両当局者がより多くの支配と影響力を争ったことで、政府を分裂させたためとしました。
安全保障局内局と軍隊のあるセクションは部隊を空輸して、地元当局者が彼が生地へ帰ろうとするなら彼と戦うように目地られたルンベク(Rumbek)に展開しました。
しかし、州知事とその他の当局者は彼が悪い意図を持たないのなら、国へ向けて話すよう彼に説得するのに成功しました。
演説の中で、アワンは彼がウェイルに行く途中で、解任された後で後を追いかけられたことに驚いているといいました。
彼は彼の意図に関していわれたことものはすべて噂に過ぎず、彼は平和が国に広まるのを望むのみだと言いました。
彼はさらに南スーダン軍や南スーダン国民に反逆したことはなく、そうするつもりもなかったと言いました。
また、元軍指揮官は後継者のジェームズ・アジョンゴ・マウト中将(Lieutenant General James Ajongo Mawut)を祝福し、彼の血縁からでも、彼の地域からの交代ではないと指摘しました。
アジョンゴ大将はプロフェッショナルで愛国的な兵士だと彼は言いました。
軍報道官、サント・ドミック・チョル大佐(Colonel Santo Domic Chol)は記者に、元参謀長は戦争を起こす意図を持たずにジュバを去りましたが、無名の人たちが問題を起こそうとしていると言いました。
「そうです。元参謀長ポール・マロンはジュバにいません。彼は緊張を避けるためにジュバを去りました。一部の人たちは彼の側に行き、緊張を引き起こす何かを言うかもしれません。これは彼が望まなかったもので、彼がジュバを去ると決めた理由です。彼はまったく反逆する気はありません」とチョル大佐は言いました。
軍報道官は、軍指導層は彼と連絡せず、ジュバに彼を戻す気はありませんと言いました。
いま、彼がさらに動くのを止めるよう説得できると考えられる人たち軍情報部の長、マリアル・ヌーオ彼大将(General Marial Nuor)とその他の軍高官を派遣されているとみられています。
記事の後半は時間がなくて省略しましたが、概要はすべて網羅しています。残りは後で追加する予定です。
フェイスブックでも書きましたが、これは衝撃的なニュースでした。
南スーダン政府はスーダンから分離独立してから二つに分かれて内戦状態になっていました。それがさらに分裂して、少なくとも三つになったようです。マロンもアコル・コー・カックも大統領の座を狙っていたとのことです。今後、南スーダン政府が瓦解する可能性すら考えざるを得ません。
今回もまた、前回のジュバでの戦闘と同じく、大統領が参加する予定だった会議が発端となっていたようです。前回はキール大統領がレイク・マシャル第一副大統領を会議に呼び出したところで銃撃戦が始まりました。この時はキール大統領がマシャルを殺そうとしたのだと私は考えています。今回はマロンがキールを殺す計画だった可能性があります。それを察知した警備隊がキール大統領に参加中止を持ちかけたのでしょう。つまり、マロン大将によるクーデターです。
マロン大将の演説が口だけなのは明白です。一時的な停戦みたいなものです。 マシャルの反対勢力に加わるのか(マシャルとは悪相性でしょうが)、自分で戦いを始めるのかは分かりませんが、南スーダンが一層不安定化して、先が見えない状態になる可能性が非常に高くなりました。
マロンやキールら南スーダン政府要人のプロフィールは「The Sentry」の報告書を日本語訳して掲載しているので参考にしてください。総括の最終回の下の方に全体へのリンクがあります。(該当ページはこちら)
自衛隊がいくら道路を舗装しても、国が内戦をさらに激化させるなら、その努力は報われないでしょう。
国連は今後、国家の独立を認めるには、その安定性の評価が前提となるでしょう。
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