キールとアワンの対立は続く
sudantribune.comによれば、南スーダンのサルバ・キール大統領(President Salva Kiir)は金曜日、元軍参謀長がオフィスを平和的に引き渡さず、3日前のジュバ(Juba)からの慌ただしい出発のあと、電話の会話で敵対的だったとして非難しました。
荒れた国で彼とマロン(Malong)の間の新しい武装闘争の恐れを打ち消すためにジュバの大統領官邸での記者会見で話し、キール大統領は国民はソーシャルメディアを通じた根拠のない噂の拡散を通じて、不安を助長することをやめるべきだと言いました。
「私はこの(軍隊内での)指揮変更と引き続いた元参謀長(ポール・マロン大将 Gen. Paul Malong)の出発が国中にいくらかの不安を生んだことに気がついています」。私は皆さんに、治安状況は通常のままで、すべての国民は日課を続けることを奨励されることを保証するためにここにいます」とキール大統領は言いました。
国営テレビとラジオの記者からの準備された質問に答えて、キール大統領はさらに、ポール・マロン大将は地元当局によって彼が生地の北バール・エル・ガザル地域(Northern Bahr El Ghazal)へ戻るのを止められたレイクス州(Lakes)からジュバに戻る要請に従おうとしないと言いました。
「個人的に、私は元参謀長、ポール・マロン大将と連絡し、私は彼に安全を保証しました」とキール大統領は言い、電話での会話が暖かみがなかったと付け加えました。
「彼(マロン大将)は険悪でした。彼は戦いの気分でした。私はなだめようとしましたが、彼はむしろ野蛮でした」と彼は言い、木曜日にユイロル(Yirol)にいた元参謀長との電話での会話に言及しました。
彼らはさらに、予定しない問題に向けるためにポール・マロンを支持した無名の外国勢力を非難しました。
「それはすべての人の懸念で、誰もポール・マロン大将をそうした予定しない問題へ陥らせようとしていません。いまポール大将の背後に彼を押すのが見られる、あまりにも多くの外国勢力があります」と彼は言いました。
キールはマロンが彼のオフィスを平和裏に後継者のジェームズ・アジョンゴ・マウト中将(Gen. James Ajongo Mawut)へ引き渡さず、新しい参謀長を祝福せず、「彼はSPLAの参謀長として過ごした期間について私に感謝するために、私(キール大統領)に電話をしませんでした」と言いました。
彼は、マロン大将がオフィスを引き渡すことなく逃げ去ったことは間違った決断だったと付け加えました。
木曜日にユイロルからジュバへ彼を運ぶ飛行機に乗らなかったあと、マロン大将がジュバに到着するかどうかは、金曜日時点では不明のままです。
しかし、大統領は彼を守り、彼のジュバへの帰還を容易にすると制約する書面の声明を出しました。
また、キール大統領は元SPLA参謀長を解放者と称賛し、彼の南スーダン国民への貢献を褒めました。
レイク・マシャル元第一副大統領がジュバから追い出された時の話を知っている人なら、マロンの追放がほとんどそれと同じパターンであることに気がつくはずです。
マシャルの場合、「会議」が予定され、そこで銃撃が起こり、マシャル派は首都から逃げ出しました。キール大統領はマシャルに安全を保証するから戻ってこいと言い、彼が戻らないと、副大統領職から解任しました。
マロン大将の場合、彼がキール大統領を殺そうとした可能性があります。キール大統領は会議に出ないように周囲からアドバイスされた後で、引き返しました。恐らく、会議の席でキールを殺す計画があったと思われます。キールはマロンを解任し、安全を保証するから戻ってこいと言いました。
戻れば殺されることは、マシャルもマロンも分かっており、両者が首都に戻ることはありません。
映画『ゴッドファーザー』さながらも権力争いが行われているのが南スーダンです。マロンはキールに敵対する意志がないと声明を出しましたが、本心ではないことが明らかです。対立は今後も続きます。キールはマロンを生かしておいては危険だと考え、マロンはキールに殺されまいとします。双方の意志が武力紛争に発展するのは確実です。
悪の論理が優先される国に、人道支援と称して自衛隊を派遣した政府の見識は初手から疑うべきものでした。
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