アワン元参謀長がジュバへ帰還

2017.5.14


 sudantribune.comによれば、南スーダンの元参謀長、ポール・マロン・アワン大将(General Paul Malong Awan)は、なぜ生地の州へ到着することを止められたのかを聞くために、首都ジュバ(Juba)に戻りました。

 マロン大将はサルバ・キール大統領(President Salva Kiir)によって火曜日に解任され、夜にジュバを去り、政治的な論争が暴力に変わることで恐怖を感じる南スーダン人の間に不安を引き起こしました。

 マロン大将の生地、10年近く知事を務めた北バール・エル・ガザル地域(Northern Bahr El Ghazal)への移動は、キール大統領の指示でユイロル(Yirol)で止められました。

 マロンは、ジュバ空港で、新しく作られたイースタン・レイクス州(Eastern Lakes State)の知事、ボル・フィリップ(Bor Philip)と、彼の年上の息子の一人、ガラン・マロン(Garang Malong)が横に並んで話し、「私は解任されたあと、家族とともに住むために家に帰りたかったのです。私にはよい家族がいますが、戻るように言われました。私にはなぜか分かりません。しかし、私は来て、話を聞きます」と言いました。

 「一部の人達が何かを初めて、私を非難するかもしれないので、私はここに住むことは望みません。私はなぜ呼び出されたかを聞いたあとで家族の元へ行くでしょう」と彼は付け加えました。

 何千人者もの支持者が尊敬された指揮官、元南スーダン軍高官を歓迎するために空港に押しかけました。彼は2014年にキール大統領の政府と戦う反政府はに対する戦いの中で、南スーダン参謀部の舵取りをしたあと、全国的に有名な人物になりました。


 記事に終わりの方は既知の事柄なので省略しました。明らかに文法的に変な文が2つあり、そこは修正して訳しました。

 まったく予想しない展開となりました。マロンが首都に戻るのは、殺されることを意味します。

 呼び戻された理由を聞くために戻ったという話は到底信じられません。空港で息子が隣りにいたことを考えると、家族の一部が首都にいたので、命令を無視できなかったのかもしれません。

 キール大統領にすれば、解任した部下に意図を説明する必要はありません。

 マロンを生かしておけば、彼の元部下たちが反乱を考えるかもしれませんん。殺しても同じかもしれませんが、殺したあとで利益誘導することで不満を分散することができます。

 どちらにしても、南スーダンに新しい紛争の種が蒔かれたことは間違いありません。こんな国が安全だと言いながら、自衛隊を派遣し続けた日本政府の感覚が疑われます。

 

 


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